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備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)#068『現存天守で唯一の山城。近世三大山城の一つとされる城』

日本100名城・68番・備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)をご紹介します。

備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)は、現存天守で唯一の山城。近世三大山城の一つとされる城です。

岡山県高梁市にある城跡です。

お城めぐりの参考に。

日本城郭検定を受験するときの参考に。

備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)#068『現存天守で唯一の山城。近世三大山城の一つとされる城』

(写真提供:岡山県観光連盟)

日本100名城・68番・備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)をご紹介します。

備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)は、現存天守で唯一の山城。近世三大山城の一つとされる城です。

岡山県高梁市にある城跡です。

見どころ

(写真提供:岡山県観光連盟)

天守は現存天守の一つです層塔型(そうとうがた)二重二階となっています。

現存天守の中では小さい天守ですが、外観は様々な装飾が施されており、見どころはたくさんあります。

また天守には唯一現存する長囲炉裏もあります。

石垣は人工的に築かれた石垣と天然の岩盤が融合した高石垣になっており、圧巻の一言です。

最近では猫城主さんじゅーろーが話題となっています。

主な遺構

本丸

二の丸

三の丸

石垣

天守

本丸二重櫓

三の平櫓東土塀

縄張(なわばり)

(写真提供:岡山県観光連盟)

備中松山城は、中国山地と瀬戸内とを結ぶ交通の要衝を見下ろす位置にある臥牛山(がぎゅうざん)に築かれました。

四つの峰に縄張りが作られ、天守は標高430 m の小松山(こまつやま)に建てられています。

天守は現存天守で二重二階の層塔型です。

現存天守の中で唯一の山城で、近世三大山城の一つに数えられます。

現存天守の中で最も小さい天守ですが、日本一高いところに建っている現存天守でもあります。

入母屋造りの突出部が東面に付けられています。

外観は他の現存天守にも見られないような凝った意匠となっています。

天守、本丸二重櫓、三の平櫓東土塀が国の重要文化財に指定されています。

五の平櫓、六の平櫓、本丸南御門が、平成9年に古写真や文献資料などをもとに再建されました。

石垣もよく残り、これらを含めた城郭全体が見どころになっています。

歴史

(写真提供:岡山県観光連盟)

延応(えんのう)2年(1242)、秋庭重信(あきばしげのぶ)が築いたのが最初とされます。

江戸時代には小堀政次・政一(小堀遠州)親子が修築をしました。

また天和(てんな)年間(1681~84)には水谷勝宗(みずたにかつむね)が大改修を行いました。

現在見られる近世三代山城の姿は、この時の改修によって作られたものです。

平成9年には本丸南御門、五の平櫓、六の平櫓、土塀などが再建されました。

備中松山城の基本情報

(写真提供:岡山県観光連盟)


(写真提供:岡山県観光連盟)

別名
所在地 〒716-0004
岡山県高梁市内山下
城の種類 山城
築城年代 延応2年(1240)
慶長10年(1605)
天和元年(1681)
築城者 秋庭重信
小堀政次・政一
水谷勝宗
主な城主 秋庭氏、高橋氏、上野氏、庄氏、三村氏、毛利氏、小堀氏、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏
文化財史跡の区分 国指定史跡、重要文化財3件(天守、二重櫓、三の平櫓東土塀)
主な復元や整備 平成9年:本丸の復元整備(櫓2基、門4棟、土塀)
平成15年:天守及び二重櫓保存修理
天守の現況 二重二階、層塔型、現存
アクセス JR 伯備線「備中高梁」駅から車で約10分、下車後徒歩約20分
日本100名城スタンプ設置場所 備中松山城天守1階渡り廊下
関連施設 御根小屋跡
頼久寺庭園
高梁市歴史美術館
武家屋敷
商家資料館
リンク 備中松山城|高梁市
天守の残る唯一の山城 備中松山城|高梁市
備中松山城|高梁市観光ガイド
猫城主さんじゅーろー

地図・マップ

まとめ

日本100名城・68番・備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)をご紹介しました。

備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)は、現存天守で唯一の山城。近世三大山城の一つとされる城です。

岡山県高梁市にある城跡です。

お城めぐりの参考にしてください。

また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。

じゃあね🖐️

2020年07月03日
犬山城マイスター!たかまる。

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