続日本100名城・117番・岩櫃城(いわびつじょう)をご紹介します。
岩櫃城(いわびつじょう)は、山に囲まれた天然の要害で関東3名城のひとつです。
群馬県吾妻郡にある山城です。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
岩櫃城(いわびつじょう)#117『山に囲まれた天然の要害で関東3名城のひとつ』
続日本100名城・117番・岩櫃城(いわびつじょう)をご紹介します。
岩櫃城(いわびつじょう)は、山に囲まれた天然の要害で関東3名城のひとつです。
群馬県吾妻郡にある山城です。
見どころ
ひな壇状に配置された曲輪(くるわ)や、深さ5 m にもなる大きな堀(ほり)、竪堀(たてぼり)、急斜面などを利用した縄張り(なわばり)が見所です。
まさに山城(やまじろ)です。
主な遺構
本丸
二の丸
中城
堀
土塁
櫓台
など
縄張(なわばり)
岩櫃城は天然の要害です。
北は岩山に囲まれています。
南は山麓に吾妻川(あがつまがわ)があり、そこへ下る急斜面となっています。
南西には岩櫃山(いわびつやま)があります。
尾根伝いに本丸、二の丸、中城が作られています。
少し離れた北東に天狗丸(てんぐのまる)と呼ばれる出丸(でまる)が築かれました。
さらにその先には柳沢城が支城(しじょう)として構えられていました。
本丸と二の丸の間には竪堀(たてぼり)が巡らされています。
至るところに竪堀や横堀などが配置されており、天然の地形をうまく利用した堅固な山城です。
歴史
岩櫃城がいつ築城されたのかについては不明です。
伝承では大永(たいえい)年間(1521~28)には斎藤氏が吾妻郡一帯を支配していたと言われます。
歴史に大きく名をあげたのは武田信玄(たけだしんげん)による攻撃です。
永禄(えいろく)6年(1563)に武田信玄が真田幸隆(さなだゆきたか)に岩櫃城攻略を命じました。
しかし上杉謙信(うえすぎけんしん)の援軍もあり、天然の地形を生かした山城に苦戦し、2度失敗しました。
そこで真田幸隆は調略と奇襲によって、永禄(えいろく)8年(1565)にようやく攻め落とすことができました。
それ以降は真田氏が岩櫃城を居城としました。
支城には上田城(うえだじょう)や沼田城(ぬまたじょう)を構え、堅固なつくりとなっていましたが、慶長(けいちょう)19年(1614)に廃城となりました。
令和元年(2019)10月16日、国の史跡に指定されました。
岩櫃城の基本情報
※非常に険しい山で、12月1日から3月31日までは登山自粛です。
また、装備などを十分にして、見学しましょう。
別名 | - |
所在地 | 〒377-0801 群馬県吾妻郡吾妻郡草津町大字原町 |
城の種類 | 山城 |
築城年代 | 不明 |
築城者 | 不明 |
主な城主 | 斎藤氏、真田氏 |
文化財史跡の区分 | 国指定史跡 |
主な復元や整備 | - |
アクセス | JR吾妻線「群馬原町」駅から徒歩約30分 |
日本100名城スタンプ設置場所 | 平沢登山口観光案内所 東吾妻町観光協会 |
関連施設 | 平沢登山口観光案内所 |
リンク | 大河ドラマ真田丸の地 岩櫃 |
地図・マップ
まとめ
続日本100名城・117番・岩櫃城(いわびつじょう)をご紹介しました。
岩櫃城(いわびつじょう)は、山に囲まれた天然の要害で関東3名城のひとつです。
群馬県吾妻郡にある山城です。
お城めぐりの参考にしてください。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年06月18日
犬山城マイスター!たかまる。