続日本100名城・103番・浪岡城(なみおかじょう)をご紹介します。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
浪岡城(なみおかじょう)#103『北畠氏の末裔が築いた中世城館』
北畠氏の末裔が築いた中世城館
北畠氏の末裔が築いた中世城館である浪岡城(なみおかじょう)をご紹介します。
浪岡城は、青森県青森市浪岡にある城跡です。
見どころ
八つの曲輪(くるわ)跡と二重堀を見ることができます。
この曲輪は堀(ほり)と土塁(どるい)で区画され、良好な保存状態で残っています。
二重堀は中土塁が通路を兼ねています。
この土塁に対して横矢掛かりができる仕組みです。
主な遺構
堀や土塁、曲輪跡などがあります。
中世城館(ちゅうせいじょうかん)の城造りが分かる遺構となっています。
縄張(なわばり)
浪岡城は、浪岡川右岸に築かれています。
八つの曲輪で構成されています。
東から新館(しんだて)、東館(ひがしだて)、外郭(がいかく)、猿楽館(さるがくだて)、北館(きただて)、内館(うちだて)、西館(にしだて)、検校館(けんぎょうだて)です。
曲輪(くるわ)と曲輪の間は幅約20 m の堀と土塁で区切られていました。
城の北側には陸奥湾、西側へ抜ける豆坂街道が走っています。
東には加茂神社、西には浪岡八幡宮があり、城の結界としていたようです。
南側を除いて各曲輪は水堀で囲まれていました。
水堀の中央部には中土塁が設けられていたため、二重堀のように見えます。
内館には城主の居館があります。
その西側には曲輪を登って入る坂虎口が設けられていました。
内館の北側に位置する曲輪が北館です。
浪岡城では最大規模の曲輪です。
歴史
浪岡城は浪岡氏(なみおかし)が築いたとされます。
この浪岡氏は南北朝時代の南朝方の重臣である北畠親房(きたばたちかふさ)の末裔と伝わっています。
南部氏(なんぶし)の保護を受けていましたが、やがて三戸南部氏(さんのへなんぶし)が北朝方につくと、南朝方の根城南部氏(ねじょうなんぶし)を頼って浪岡に入部したと考えられています。
浪岡城は浪岡御所(なみおかごしょ)と呼ばれた中世城館です。
正確な築造年代は不明です。
およそ15世紀半ば頃に築城されたと推定されています。
浪岡氏は津軽を三分する勢力に成長しました。
しかし、永禄5年(1562)の川原御所の乱と呼ばれる戦いにより衰退します。
その後、浪岡城は大浦(津軽)為信(おおうらためのぶ:つがるためのぶ)によって落城しました。
落城の年は、天正6年(1578)の説と、天正18年(1590)の説があります。
浪岡城の基本情報
別名 | なし |
所在地 | 〒038-1311 青森県青森市浪岡大字浪岡 |
城の種類 | 平城 |
築城年代 | 1600年頃 |
築城者 | 不明 |
主な城主 | 浪岡氏(北畠氏) |
文化財史跡の区分 | 国指定史跡 |
近年の主な復元や整備 | なし |
日本100名城スタンプ設置場所 | 青森市中世の館 |
アクセス | JR 奥羽本線浪岡駅より徒歩約30分 |
関連施設 | 青森市中世の館 |
リンク | 史跡 浪岡城跡 |
地図・マップ
まとめ
続日本100名城・103番・浪岡城(なみおかじょう)をご紹介しました。
お城めぐりの参考にしてください。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年03月30日
犬山城マイスター!たかまる。