続日本100名城・116番・沼田城(ぬまたじょう)をご紹介します。
沼田城(ぬまたじょう)は、北条・上杉・武田が争奪戦を繰り返した城です。
群馬県沼田市にある城跡です。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
沼田城(ぬまたじょう)#116『北条・上杉・武田が争奪戦を繰り返した城』
続日本100名城・116番・沼田城(ぬまたじょう)をご紹介します。
沼田城(ぬまたじょう)は、北条・上杉・武田が争奪戦を繰り返した城です。
群馬県沼田市にある城跡です。
見どころ
西櫓台周辺の石垣が見どころです。
本丸には土塁の痕跡もわずかに残っています。
主な遺構
石垣
堀
土塁
など
縄張(なわばり)
沼田城の中心部分は西側の古城と呼ばれている部分です。
真田氏が支配していたときに本丸などが整備されました。
また二の丸の虎口(こぐち)には馬出(うまだし)を備えていました。
さらには本丸には五重天守と三重櫓(さんじゅうやぐら)を持つ城であったと言われています。
真田氏が改易されたときに建物などはすべて破却されました。
元禄(げんろく)16年(1703)に沼田藩が再興されたとき、本多氏などが藩主として入城しましたが、三の丸に居館を構えただけで建物は再建されませんでした。
現在では西櫓台の石垣(いしがき)が残されており、当時の姿を思い描くことができます。
歴史
沼田城は沼田顕泰(ぬまたあきやす)が天文(てんぶん)元年(1532)に築いたと言われています。
室町時代には沼田氏が利根沼田一帯を支配していました。
しかし沼田は関東支配の重要拠点として考えられており、北条・上杉・武田、のちには徳川も加わって争奪戦が繰り広げられました。
最終的には武田の家臣である真田の居城となりました。
そのとき沼田城攻略の拠点となったのが名胡桃城(なぐるみじょう)です。
江戸時代も沼田城は真田氏の居城とされていましたが、松代に移封された後も飛び地で支配していました。
その後、真田の分家が沼田藩として独立しました。
しかし元和(げんな)元年(1681)に改易されてしまいました。
その後、沼田藩は元禄(げんろく)16年(1703)に再興されました。
沼田城の基本情報
別名 | 蔵内城(くらうちじょう) 倉内城(くらうちじょう) 霞場(かすみじょう) |
所在地 | 〒378-0042 群馬県沼田市西倉内町594 |
城の種類 | 平山城 |
築城年代 | 元文元年(1532) 天正元年(1573) |
築城者 | 沼田氏 |
主な城主 | 沼田氏、真田氏、本多氏、黒田氏、土岐氏 |
文化財史跡の区分 | 市指定史跡 |
主な復元や整備 | - |
アクセス | JR上越線「沼田」駅から徒歩約20分、または JR上越線「沼田」駅から関越交通バスで約6分「下之町」バス停下車徒歩約15分。または「沼田局前」下車徒歩約10分 |
日本100名城スタンプ設置場所 | 沼田市観光案内所 |
関連施設 | |
リンク | 沼田城|沼田市ウェブサイト |
地図・マップ
まとめ
続日本100名城・116番・沼田城(ぬまたじょう)をご紹介しました。
沼田城(ぬまたじょう)は、北条・上杉・武田が争奪戦を繰り返した城です。
群馬県沼田市にある城跡です。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年06月01日
犬山城マイスター!たかまる。