日本100名城・061番・高取城(たかとりじょう)をご紹介します。
高取城(たかとりじょう)は、吉野山系に築かれた日本三大山城の一つです。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
高取城(たかとりじょう)#061『吉野山系に築かれた日本三大山城の一つ』
日本100名城・061番・高取城(たかとりじょう)をご紹介します。
高取城(たかとりじょう)は、吉野山系に築かれた日本三大山城の一つです。
高取城は、奈良県高市郡高取町にある城跡です。
見どころ
本丸、天守台などの高石垣が見所です。
堀切や水堀などの遺構もいたるところにあり、見所はとても多いです。
特に吉野口門側の「みろく堀切」と呼ばれる巨大な堀切は見所十分です。
また山城では珍しい二の門水堀なども見所です。
主な遺構
本丸
二の丸
三の丸
石垣
堀
移築城門
縄張(なわばり)
高取城は奈良盆地南方に連なる吉野山の標高583 m の山頂に築かれた山城です。
南北に長い尾根筋に沿って本丸、二の丸、三の丸など多くの曲輪(くるわ)が配置されていました。
そしてそこには高石垣(たかいしがき)が築かれています。
北西部には侍屋敷が多く置かれていたようです。
巨大な近世山城(きんせいやまじろ)として有名ですが、その一つに櫓(やぐら)が27基も備えられていたことが挙げられます。
山城には珍しい水堀(みずぼり)も備えられていました。
本丸は二段構えになっています。
上段に天守曲輪(てんしゅぐるわ)が設けられており、北西隅には三重三階の天主が築かれました。
天守は小天守と多門櫓(たもんやぐら)で連結されていた連結式(れんけつしき)と考えられています。
二の丸下段には大手門または御城門と呼ばれる枡形虎口(ますがたこぐち)が構えられていました。
主要部に入る重要な門だったのです。
現在では三大山城(さんだいやまじろ)として有名です。
歴史
高取城は南北朝時代に越智邦澄(おちくにずみ)によって築かれたと言われています。
一時は廃城となっていましたが、筒井順慶(つついじゅんけい)によって復興し、本多太郎左衛門(ほんだたろうざえもん)と利朝(としとも)の親子が中世山城(ちゅうせいやまじろ)から近世城郭(きんせいやまじろ)へと改修しました。
高取城の基本情報
別名 | 芙蓉城(ふようじょう) |
所在地 | 〒635-0101 奈良県高市郡高取町高取 |
城の種類 | 山城 |
築城年代 | 元弘(げんこう)2年(正慶(しょうけい)元年、1332)ころ 天正(てんしょう)13年(1585) |
築城者 | 越智邦澄(おちくにずみ)、本多利朝(ほんだとしとも) |
主な城主 | 越智氏、本多氏、植村氏 |
文化財史跡の区分 | 国指定史跡 |
主な復元や整備 | 平成10年の台風による倒木などを除去し、石垣の一部も修復された |
天守の現況 | 天守台のみ現存 |
アクセス | 近鉄吉野線「壺阪山」駅から徒歩約2時間 または「壺阪山」駅から奈良交通バス「壺阪寺行き」で「壺阪寺前」下車、徒歩約40分 |
日本100名城スタンプ設置場所 | たかとり観光案内所「夢創館」 |
関連施設 | |
リンク | 高取町観光ガイド アクセスマップ |
地図・マップ
まとめ
日本100名城・061番・高取城(たかとりじょう)をご紹介しました。
高取城(たかとりじょう)は、吉野山系に築かれた日本三大山城の一つです。
お城めぐりの参考にしてください。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年05月01日
犬山城マイスター!たかまる。