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鳥取城(とっとりじょう)#063『久松山山頂の山城と麓の平城からなる城』

日本100名城・63番・鳥取城(とっとりじょう)をご紹介します。

鳥取城(とっとりじょう)は、久松山山頂の山城と麓の平城からなる城です。

鳥取県鳥取市にあります。

お城めぐりの参考に。

日本城郭検定を受験するときの参考に。

鳥取城(とっとりじょう)#063『久松山山頂の山城と麓の平城からなる城』

日本100名城・63番・鳥取城(とっとりじょう)をご紹介します。

鳥取城(とっとりじょう)は、久松山山頂の山城と麓の平城からなる城です。

鳥取県鳥取市にあります。

見どころ

麓の近世城郭、いわゆる「山下の丸」からは三階櫓、走櫓、菱櫓などの櫓台の高石垣を見上げることができます。

さらにその背後には久松山がそびえ立ち、眺めはとても良いです。

山下の二の丸から山上に向かって斜面に築かれた高石垣(たかいしがき)も見所の一つです。

竪石垣(たていしがき)も見所のひとつです。

主な遺構

石垣

縄張(なわばり)

鳥取城は標高263 m の久松山(きゅうしょうざん)に築かれました。

関ヶ原の戦いの後の大改修によって、山頂には二重天守、山麓には三階櫓(さんかいやぐら)が建てられました。

山頂には戦国時代の山城「山上の丸(さんじょうのまる)」と、麓には近世城郭「山下の丸(さんげのまる)」という二元構造の縄張りとなっています。

山上の丸、山下の丸ともに見事な高石垣(たかいしがき)が現存しています。

山上の天守が消失した後は山麓の山下の丸にある三階櫓が天守の代わりを果たしました。

近年、石垣などが復元整備され綺麗に整えられています。

昭和18年(1943)の鳥取大地震で天守台の石垣などが崩壊しました。

そのため、昭和の半ば頃から石垣を中心として復元整備が行われました。

また、近年の鳥取県西部地震などで天球丸石垣が劣化しました。

そのため平成15年から石垣の修復が実施されました。

この天球丸石垣は鳥取城の見所の一つでもあります。

歴史

天文(てんぶん)14年(1545)頃、因幡守護の山名誠道(やまなのぶみち)が、創建したと言われます。

鳥取城で最も有名なのは、天正9年(1581)に羽柴秀吉(はしばひでよし、のちの豊臣秀吉)が大軍で攻め寄せ、兵糧攻めにしたのち、城将の吉川経家(きっかわつねいえ)が自害した戦です。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後に、池田長吉(いけだながよし)が入封しました。

その後、山麓に二の丸、三の丸を設けるなど大改修を行いました。

そして山頂には戦国時代の山城、通称「山上の丸」と、麓の近世城郭、通称「山下の丸」という今日見られる縄張りに整備されました。

鳥取城の基本情報

別名
所在地 〒680-0011
鳥取県鳥取市東町
城の種類 山城、平山城
築城年代 天文14年(1545)頃、慶長7年(1602)
築城者 山名誠道、池田長吉
主な城主 武田氏、山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏
文化財史跡の区分 国指定史跡
主な復元や整備 平成15年から石垣を中心として修復復元整備された
天守の現況 天守台のみ残る
アクセス JR山陰本線「鳥取」駅から日交バス砂丘高山方面行きで約5分「西町」下車、徒歩約5分で登り口
登り口から山上の丸まで徒歩約30分
日本100名城スタンプ設置場所 鳥取城跡内、重要文化財「仁風閣」
関連施設  
リンク 国指定史跡・日本百名城 鳥取城跡の冊子(無料)について
鳥取城跡・久松公園

地図・マップ

まとめ

日本100名城・63番・鳥取城(とっとりじょう)をご紹介しました。

鳥取城(とっとりじょう)は、久松山山頂の山城と麓の平城からなる城です。

お城めぐりの参考にしてください。

また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。

じゃあね🖐️

2020年05月14日
犬山城マイスター!たかまる。

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