続日本100名城・106番・脇本城(わきもとじょう)をご紹介します。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
脇本城(わきもとじょう)#106『安東愛季が本拠とした戦国時代の山城』
安東愛季(あんどうかずすえ)が本拠とした戦国時代の山城である脇本城(わきもとじょう)をご紹介します。
脇本城は、秋田県男鹿市脇本にある城跡です。
見どころ
安東三城(脇本城(わきもとじょう)、湊城(みなとじょう)、檜山城(ひやまじょう))の雄大なスケール感。
東京ドーム約32個分、150 ha(ヘクタール)の広大な敷地。
そして、築城から数百年経った今でも、遺構が良好な状態で残されています。
主な遺構
内館(うちだて)地区の曲輪
馬乗り場(うまのりば)地区の曲輪
兜ヶ崎(かぶとがさき)地区の曲輪
土塁
堀など
縄張(なわばり)
秋田県の男鹿半島(おがはんとう)の付け根にあります。
生鼻崎(おいばなざき)の丘陵に築かれた山城(やまじろ)です。
城は三つの部分で構成されています。
内館(うちだて)、馬乗り場(うまのりば)、兜ヶ崎(かぶとがさき)です。
生鼻崎丘陵の北東尾根を大手道が登り、内館を横断して城下町に続いています。
内館には主郭部(しゅかくぶ)が置かれ、土塁(どるい)によって仕切られていました。
大土塁(おおどるい)と呼ばれています。
この内館に城主の居館(きょかん)があったと推定されています。
内館地区は主郭部を構成する曲輪(くるわ)群の中で最も平坦地が大きいのが特徴です。
馬乗り場は内館の北にあり、城館(じょうかん)があった場所と考えられています。
歴史
脇本城は出土物から15世紀頃にはあったと推定されています。
しかし詳しい築城者や築城時期は定かではありません。
元亀・天正年間(1570~1592)前半に安東愛季(あんどうちかすえ)が脇本城を改修して本拠を移したと言われています。
安藤氏は愛季(ちかすえ)の代に戦国大名として台頭し、勢力を伸ばしました。
豊臣政権下では湊城(みなとじょう)に本拠を置き、秋田5万2000石余の大名となりました。
愛季の二男実季(さねすえ)は湊城を居城として、秋田城介(あきたじょうのすけ)を称して秋田氏を名乗りました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、常陸宍戸(ひたちししど)5万石に国替えとなりました。
廃城になったのは二つの説があります。
一つは実季が湊城を居城とした天正17年(1589)の説、もう一つは国替えとなった後の慶長7年(1602)の説です。
脇本城の基本情報
別名 | 湧本城(わきもとじょう) 生鼻城(おいばなじょう) 太平城(たいへいじょう) |
所在地 | 〒010-0341 秋田県男鹿市脇本脇本字七沢外 |
城の種類 | 山城 |
築城年代 | 不明 |
築城者 | 不明 |
主な城主 | 安東氏、脇本氏、湊氏 |
文化財史跡の区分 | 国指定史跡 |
主な復元や整備 | - |
アクセス | JR 男鹿線「脇本」駅から徒歩約35分 |
日本100名城スタンプ設置場所 | 史跡脇本城跡案内所 |
関連施設 | |
リンク | 「脇本城跡」 「史跡脇本城跡案内所」 ・脇本城跡パンフレット.pdf [6055KB pdfファイル] |
備考 | 冬季の登城は積雪のため危険です |
地図・マップ
まとめ
続日本100名城・106番・脇本城(わきもとじょう)をご紹介しました。
お城めぐりの参考にしてください。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年04月09日
犬山城マイスター!たかまる。