続日本100名城・109番・米沢城(よねざわじょう)をご紹介します。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
米沢城(よねざわじょう)#109『直江兼続が大改修した輪郭式平城(りんかくしきひらじろ)』
直江兼続が大改修した輪郭式平城(りんかくしきひらじろ)である米沢城(よねざわじょう)をご紹介します。
米沢城は、山形県米沢市にある城跡です。
見どころ
輪郭式の平城で、今でも残る土塁や堀が見所です。
本丸には上杉神社、二の丸には松岬神社、三の丸には餐霞館(さんかかん、9代藩主上杉鷹山の隠居後の住居)跡など、多くの文化財を見ることができます。
主な遺構
本丸
堀
土塁など
縄張(なわばり)
米沢城は米沢盆地の南に位置し、最上川西岸の松川扇状地の中央部に築かれました。
本丸は約151 m 四方の方形の曲輪(くるわ)です。
伊達氏の城館(じょうかん)が原型と言われています。
縄張りは輪郭式(りんかくしき)で、本丸を二の丸がぐるりと囲んでいます。
さらに二の丸を三の丸が取り囲んでいます。
本丸の北東隅と北西隅にはかつて御三階櫓(ごさんかいやぐら)が建てられていました。
また二の丸には4基の二重櫓(にじゅうやぐら)などの建物がありました。
本丸南面の堀に架かる菱門橋(ひしもんばし)は藩主御殿への出入り口であり、警備は厳重でした。
本丸には現在は上杉神社が鎮座しています。
明治期に本丸跡に創建された神社で、祭神は上杉謙信(うえすぎけんしん)です。
現在の建物は大正12年(1923)に再建されたものです。
歴史
鎌倉時代から長井氏(ながいし)が米沢に城を築いて支配してきました。
しかし南北朝時代には伊達氏(だてし)に追われ、天文17年(1548)になって米沢に本拠を移しました。
伊達政宗(だてまさむね)も米沢城で生まれたと言われています。
その後、天正19年(1591)に豊臣秀吉の命で伊達政宗は岩出山城(いわでやまじょう)に移りました。
米沢城には蒲生氏(がもうし)が入城し、城の改修を行いました。
さらに慶長3年(1598)に上杉氏の重臣である直江兼続(なおえかねつぐ)が入城し、城主を務めました。
直江兼続は関ヶ原の戦いの後の慶長13年(1608)に近世城郭(きんせいじょうかく)としての大規模な改修を行いました。
しかし上杉氏は会津120万石から米沢30万円石に大厳封されたため、米沢城に居城を移してきました。
その後、明治維新まで上杉氏の居城となりました。
米沢城の基本情報
別名 | 舞鶴城(まいづるじょう) 松ヶ岬城(まつがさきじょう) |
所在地 | 〒992-0052 山形県米沢市丸の内1-4-13 |
城の種類 | 平城 |
築城年代 | 鎌倉時代、歴仁(りゃくにん)元年(1238)頃か? |
築城者 | 長井時広(ながいときひろ) |
主な城主 | 伊達氏、蒲生氏、上杉氏 |
文化財史跡の区分 | - |
主な復元や整備 | - |
アクセス | JR 奥羽本線「米沢」駅から市街地循環バス右回りで約10分「上杉神社前」下車徒歩約3分 |
日本100名城スタンプ設置場所 | 米沢観光コンベンション協会観光案内所 |
関連施設 | 米沢市上杉博物館 |
リンク | 山形県観光情報ポータル「やまがたへの旅」 |
地図・マップ
まとめ
続日本100名城・109番・米沢城(よねざわじょう)をご紹介しました。
お城めぐりの参考にしてください。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年04月21日
犬山城マイスター!たかまる。