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【第六代・犬山城主】池田恒興(いけだつねおき)。小牧・長久手の戦いで犬山城を見事攻め落とした!が、しかし!

五代目城主・中川定成のとき、天正12年に小牧・長久手の戦いが勃発。

犬山城が尾張国での緒戦となりました。

その結果、犬山城は落城し、攻め落とし池田恒興が城主に返り咲きました!

が、しかし。長くは続きませんでした。

池田恒興(いけだつねおき)。小牧・長久手の戦いで犬山城を見事攻め落とした!が、しかし!

犬山城の城主はコロコロ代わる運命なのか!?

『小牧・長久手の戦い』はもともと伊勢での戦が発端です。

それに出陣していたのが五代目犬山城主・中川定成です。

しかし、その隙をついて犬山城を攻め落とした武将がいます。

池田恒興です。

この池田恒興は、三代目城主として犬山を預かっていた武将ですから、犬山城を攻め落とす策はもっていたのでしょう。

小牧・長久手の戦いの尾張国での緒戦が、この犬山城の戦いでした。

この後、羽柴秀吉方は織田信雄が治める尾張を攻め上がり、徳川の三河へ一気に侵攻しようとするわけですが、激戦となった長久手で池田恒興が徳川勢に攻撃されて討ち死にしてしまいました。

▲ 池田恒興は長久手で戦死。本能寺の変の後、生き方を探していたのかもしれない。

小牧・長久手の戦いは主戦場を変えながら数ヵ月に及んだわけですが、3月15日に犬山城を落とし、4月9日に池田恒興が討ち死にしたので、犬山城主に返り咲いたといっても4週間あまりだけでした。

人物データ

池田恒興(いけだつねおき)

六代目城主

在位 約4週間:天正12年(1584)3月15日~4月9日

犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。

まとめ

犬山城を落としたところまでは勢いに乗っていた池田恒興も、その運命には逆らえなかったのでしょう。

この混乱のなか、秀吉の命により加藤光泰が犬山城を預かることになりました。

ということで、戦の混乱もじっと耐え抜いた、犬山城でした。

じゃあね🖐️

2019年04月16日
犬山城マイスター!たかまる。

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