中世城郭では山城が多く作られました。
山城は戦うための仕掛けがたくさん作られていますが、敵を寄せ付けないシステムとして多く作られたのが空堀(からぼり)です。
山城から平山城・平城へと変化していった近世城郭でも空堀は進化し続けました。
今回はその空堀について、学んでいきましょう。
中世の空堀
山の上の堀
中世の城はほとんどが山城でした。
山城の築城術として、城域に敵を入れないようにするために土塁(どるい)を高くしたり、深い堀を掘ったりしました。
こうして作られた堀は水のない空堀(からぼり)でした。
山の上では水を溜めておくことができないからです。
中世の空堀にはいくつかパターンがあります。
以下に紹介していきたいと思います。
堀切(ほりきり)
山の尾根をざっくり切って敵の侵入を防ぐもの。
尾根づたいに進むことを阻みますが、見方同士の行き来も自由がなくなります。
竪堀(たてぼり)
横からの侵入を防ぐもので、斜面に対して並行に掘られたものです。
これによって敵は斜面での横移動がしにくくなります。
幅はせいぜい5間(約10m)程度でした。
畝状竪堀(うねじょうたてぼり)
竪堀を連続して何本も掘ったもの。
敵は横移動が困難なため、堀底を歩くしかなくなり、狙われ易い状態になります。
薬研堀(やげんぼり)
これは堀の形状を表す言葉で、漢方薬を粉末にする薬研(やげん)という道具に似ていることから呼ばれるようになりました。
堀を作りたいところの両側から45度の角度で切り込んでいき、深さが幅の半分になったところで両側の斜面がぶつかって堀ができあがります。
堀底は狭く、歩くことさえできなくなります。
近世の空堀
中世から近世になり、戦(いくさ)の仕方が変わっていきました。
それは鉄砲が普及したためです。
そして、山城から平山城や平城へと変化したこともあわせて、堀も変化していきます。
つまり、鉄砲は射程距離が弓矢よりも長くなったために、5間程度の堀幅では射程圏内に入ってしまいます。
そのため、鉄砲の攻撃を防ぐために幅の広い堀が必要になりました。
そこで作られるようになったのが箱堀(はこぼり)です。
薬研堀のような狭い堀ではなく、平らで広い堀底の堀です。
このような堀は山城では作ることができないため、平城などで多く作られました。
近世の平城の堀幅は広く、水堀が主ですが、大阪城や名古屋城の内堀の一部には巨大な空堀が残されています。
まとめ
中世城郭は山城が主だったため、空堀が多用されました。
近世になって巨大な平城に変化していきましたが、それにあわせて空堀も進化していきました。
ということで、敵の侵入を防ぐための空堀のお話でした。
じゃあね🖐️
2019年08月12日
犬山城マイスター!たかまる。