国宝犬山城の木曽川対岸に鵜沼城(うぬまじょう)というお城があったのをご存知でしょうか?
おもしろい形の岩山なんですよ。
知ってる人はあんまりいないと思いますが、犬山城よりも歴史の深い鵜沼城について、解説します。
鵜沼城(うぬまじょう)
- 宇留摩城(うるまじょう)と呼ばれていた
- 岐阜県各務原市鵜沼にある岩山
- 木曽川沿いに立ち、対岸には国宝犬山城
今は鵜沼城(うぬまじょう)と呼ばれますが、歴史の史料の中では「宇留摩城(うるまじょう)」と書かれています。
現在の岐阜県各務原市鵜沼南町7-23にある岩山です。
木曽川の右岸(川の北岸)にあり、天然の岩山となっています。
通称「城山(じょうやま)」とも呼ばれる山です。
木曽川の対岸には犬山城があります。
名鉄犬山線の犬山橋のすぐそばにある小高い岩山が城跡ですが、現在は麓が私有地のため立ち入ることができません。
鵜沼城を築城したのは大沢氏
- 築城は永享年間(1429~1440年)
- 築城者は大沢利治
鵜沼城が築城されたのは永享年間(1429~1440年頃)と言われ、築城者は大沢利治と言われます。
大沢氏は土岐氏や斎藤氏に仕え、この地方に勢力のあった豪族です。
歴史に登場する鵜沼城
- 織田信長による美濃攻め
- 小牧・長久手の戦い
歴史上に鵜沼城が出てくるのは二度あります。
一度目は、織田信長による美濃攻めのときです。
信長公記には、
敵、美濃方の城は、宇留摩城(うるまじょう)、猿啄城(さるばみじょう)というのが並んで二か所、犬山の川向うにあった。
敵城宇留摩城(うるまじょう)の城主は大沢次郎左衛門(大沢基康)、隣の猿啄の城主は多治見修理といい、両城は木曽川に接近して、犬山の川向うに並んで持ちこたえていた。
と書かれています。
要約すると藤吉郎(羽柴秀吉)に鵜沼城と伊木山城の攻略を信長が命じます。
鵜沼城主の大沢次郎左衛門はこれに強く抵抗しますが、藤吉郎の調略によって降伏します。
これが「宇留摩城の戦い」です。
この後、鵜沼城は犬山城主であった池田恒興(いけだつねおき)に与えられました。
美濃攻めの足がかりを得た信長は東濃を一気に攻め落とし、そこから井口城(いまの岐阜城)を攻めにかかります。
池田恒興が国替えになった後は中川定成(なかがわさだなり)が犬山城の城主となり、同時に鵜沼城も支配したと言われています。
一級史料として活用されていますが、読み物としても楽しく読める史料です。
今では現代語訳も出されていますし、解説付きなのでとても分かりやすくておススメです。
二度目に出てくるのは小牧・長久手の戦いです。
色々な書物に出てくるかと思いますが、天正12年(1584年)3月13日、秀吉方の池田恒興が犬山城を攻略します。
これを「犬山城の戦い」と言います。
このとき、鵜沼城に池田恒興が入城して犬山城を攻略したと言われていますが、鵜沼城に入ったかどうかは定かではありません。史料によると「鵜沼」より攻め行ったと書かれており、鵜沼城に入城したのかまでは明確に記載されていません。
筆者は、西側にある伊木山城の方が大きく使い勝手が良かったと思われるので、伊木山城を使ったと考えています。
小牧・長久手の戦いは天正12年後半に決着がつきますが、鵜沼城はその時に廃城になったとされています。
鵜沼城の見どころ
- 遠景を楽しもう
- 木曽川との景色は絶景
- 犬山城にも訪れよう
いまの鵜沼城は、麓が私有地であり入山することはできません。
そのため遺構などを散策することもできませんので、外周を見て楽しみましょう。
木曽川沿いに立っているこの城山(じょうやま)は、東側と北側が直接木曽川に接しており、急峻な崖になっているため、見る場所によっては浮いた島のように見えます。
この辺りは名勝木曽川でもあるため、鵜沼城跡も入れた風景などを楽しむことができます。
秋には紅葉もするため、露出した岩肌と紅葉した木々のコラボレーションがなかなか面白い景色を作り出してくれます。
犬山城に行った際には一緒に散策するのも良いかと思います。
鵜沼城インフォメーション
別名 | 宇留摩城、宇留間城、宇留馬城、志水山霧ヶ城 |
城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 大沢利治 |
築城年 | 永享年間(1429年~1440年) |
主な城主 | 大沢氏、池田恒興、中川定成 |
廃城年 | 天正12年(1584年) |
遺構 | 不明 |
場所 | 岐阜県各務原市鵜沼南町7-23 |
まとめ
鵜沼城は永享年間(1429年から1440年頃)に大沢氏によって建てられた城でした。
現在は立ち入りができませんが、遠くからの景色は木曽川と合わせて楽しむことができます。
ということで、城たび。鵜沼城の解説でした。
じゃあね👍
2019年11月28日
犬山城マイスター!たかまる。