犬山城の大手門(おおてもん)はご存知でしょうか?
今は面影がほとんどないため、犬山城に出かけても印象がないと思います。
が、実は大手枡形(おおてますがた)という最強の門だったって話。
犬山城・大手門-大手枡形(おおてますがた)という最強の門だった話
- 大手門は厳重に守られていた
- 最強の外枡形(そとますがた)だった
- 左折れの枡形虎口だった
大手門は城郭の出入り口、正面玄関です。
ここから先は武士しか入れません。
厳重に守られていました。
犬山城の大手門も同じです。
城郭の南に位置し、四角い空間に門が二つ備えられる「枡形(ますがた)」という形です。
近世城郭(きんせいじょうかく)の最強の出入り口と言われる形です。
そして、犬山城の枡形の特徴の一つが、左折れになっているということです。
以下に詳しく見ていきましょう。
大手門の形=四角い空間+門が二つ
- 犬山城の大手門は外枡形(そとますがた)
- 四角い空間に門が二つ
- 高麗門(こうらいもん)と櫓門(やぐらもん)
犬山城の大手門は枡形(ますがた)です。
枡形虎口というのは、四角い空間に門が二つ備えられているもので、塀などで囲われています。
そして、犬山城の大手門は、高麗門(こうらいもん)と櫓門(やぐらもん)が備えられていました。
犬山城で枡形になっているところは、この大手門だけです。
つまり、犬山城で唯一の枡形が大手門ということになります。
規模的には、丸亀城の大手枡形がちょうど良いかもしれません(筆者の感覚です。あしからず)。
丸亀城の大手枡形は現存していますので、一度訪れて確認されると良いかと思います。
左折れの枡形虎口
- 枡形には右折れと左折れがある
- 犬山城の大手門は左折れ
- 徳川大阪城、小田原城などと同じ
枡形には門が二つ備えられていますが、その位置によって右折れと左折れがあります。
犬山城の大手枡形は左折れです。
これは徳川大阪城の大手枡形や小田原城の馬出門や銅門(あかがねもん)でも見られる形です。
東西の大きな城と同じ構造をもつ枡形が、犬山城の大手門には備えられていたのです。
大手門は現・福祉会館の辺りにあった
- 大手門は、南の端にあった
- 現在の福祉会館の辺りにあった
- そのさらに南には城下町が広がっていた
犬山城の大手門は城郭の南端、ほぼ中央にありました。
現在の福祉会館の辺りです。
さらにその南には城下町が広がっていました。
現況はどうなっているか?
- 遺構はほとんど残っていない
- 門も現存していない
- 案内板があるだけ
大手門の現況は写真の通りです。
現在では交差点になっており、北を見て(旧城郭を見て)左手には福祉会館、右手にはしみんていがあります。
2020年3月で福祉会館は役割をいったん終え、解体されることが決定しています。
発掘調査をすると思われますが、何か出てくるのでしょうか? 楽しみです。
門は移築などされておらず、現存していません。
また、現地には案内板がひっそりと佇んでいます。
枡形虎口(ますがたこぐち)とは?
- 四角い空間に門が二つの形
- 内枡形(うちますがた)と外枡形(そとますがた)がある
- 近世城郭の出入り口としての最高到達点
枡形について詳しくはコチラ↓↓↓の記事をご覧いただきたいのですが、ここでは簡単にまとめておきます。
枡形とは四角い空間に門が二つ備えられた門のことです。
形としては内枡形(うちますがた)と外枡形(そとますがた)の二つがあります。
門は一般的には高麗門(こうらいもん)と櫓門(やぐらもん)の二つを備えています。
枡形は近世城郭の出入り口としての最高到達点と言っても良いでしょう。
まとめ
- 大手門は厳重に守られていた
- 最強の外枡形(そとますがた)だった
- 左折れの枡形虎口だった
犬山城の大手門は枡形(ますがた)という最強の形でした。
現在は遺構はほとんど残っていませんが、左折れの構造は徳川大坂城や小田原城でも見られるもので、最強の構えだったことが分かります。
現在は案内板がある程度ですが、現地に行って大手門を想像してみるのも楽しいかもしれませんね。
それと、犬山城の門については、コチラの記事でまとめています。
ご参考にどうぞ。
「犬山城の門まとめ」
ということで、犬山城の大手門を解説しました。
じゃあね🖐️
2020年01月02日
犬山城マイスター!たかまる。