続日本100名城・105番・白石城(しろいしじょう)をご紹介します。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
白石城(しろいしじょう)#105『仙台城の支城。天守を大櫓と呼んだ城』
仙台城の支城となり、天守を大櫓と呼んだ城である白石城(しろいしじょう)をご紹介します。
白石城は、宮城県白石市にある城跡です。
見どころ
まずは平成に木造復元された三重三階の復元天守(ふくげんてんしゅ)です。
「白石城本丸屋形図」や古い史料を基に木造で復元されました。
本丸の石垣は二つの積み方を見ることができます。
一つは築城当時の野面積み(のづらづみ)で、もう一つは打込接(うちこみはぎ)です。
天守の三階は物見櫓となっていて、室内は30畳ほどの広さがありました。
白石城は仙台城の支城(しじょう)だったため、この天守は幕府をはばかって「大櫓」と呼ばれました。
本丸の大手門には、高麗門(こうらいもん)である大手一之門と、櫓門(やぐらもん)である大手二之門があります。
大手二之門の片方は石垣の上に乗せた形式になっています。
主な遺構
石垣(いしがき)
土塁(どるい)
櫓台(やぐらだい)
縄張(なわばり)
白石城は標高約76 m の丘陵地に築かれました。
最も高い所に本丸を配置し、それを中心として二の丸、中の丸、西曲輪が取り巻いています。
そこから一段下がったところには、沼の丸、南の丸、巽曲輪(たつみくるわ)、帯曲輪(おびくるわ)、厩曲輪(うまやくるわ)などの曲輪群が配置されていました。
曲輪(くるわ)の周りには館堀川(たてほりかわ)、南側は空堀で丘陵を切断しました。
館堀川を隔てた平地には三の丸と外曲輪(そとくるわ)がありました。
歴史
白石は代々、白石氏が支配していました。
戦国時代には伊達氏が支配するようになりました。
天正19年(1591)に起こった豊臣秀吉による奥羽仕置(おううしおき)の後、白石は蒲生氏郷(がもううじさと)に与えられました。
蒲生氏郷の家臣である蒲生郷成(がもうさとなり)が白石城を築城しました。
天正19年(1591)のことです。
その後、上杉氏が支配をしていました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後は、再び伊達氏が支配することとなりました。
伊達政宗は白石城を仙台城の支城としました。
そして重臣・片倉景綱(かたくらかげつな)を城主としたのです。
それ以後、明治維新まで片倉氏が城主として白石城を守りました。
元和元年(1615)の一国一城令(いっこくいちじょうれい)で各国の城が廃城となっていく中、仙台藩は特別に白石城の存続を認められました。
この白石城は幕末に奥羽越列藩会議(おううえつれっぱんかいぎ)が行われ、白石に奥羽越公儀所(おううえつこうぎしょ)が設けられました。
白石城の基本情報
別名 | 益岡城(ますおかじょう) 桝岡城(ますおかじょう) |
所在地 | 〒989-0251 宮城県白石市益岡町1-16 |
城の種類 | 平山城 |
築城年代 | 天正19年(1591) |
築城者 | 蒲生郷成(がもうさとなり) |
主な城主 | 蒲生氏、石川氏、片倉氏 |
文化財史跡の区分 | 市指定有形文化財 |
主な復元や整備 | 天守「大櫓」復元、大手一之門、大手二之門、石垣、土塀 |
アクセス | JR 東北本線「白石」駅から徒歩約10分 |
日本100名城スタンプ設置場所 | 白石城天守閣 (4月~10月:9時~17時、11月~3月:9時~16時) |
関連施設 | 白石城管理事務所 白石城歴史探訪ミュージアム |
リンク | 白石城歴史探訪ミュージアム |
備考 | 天守の復元には国内材料を用いています。 また日本古来の建築様式により史実に忠実に復元されています。 |
地図・マップ
まとめ
続日本100名城・105番・白石城(しろいしじょう)をご紹介しました。
お城めぐりの参考にしてください。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年04月05日
犬山城マイスター!たかまる。