日本100名城・58番・明石城(あかしじょう)をご紹介します。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
明石城(あかしじょう)#058『2基の三重櫓が現存する西国押さえの城』
2基の三重櫓が現存する西国押さえの城である明石城(あかしじょう)をご紹介します。
明石城は、兵庫県明石市にある城跡です。
見どころ
現存する三重櫓の巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)の2基が、本丸南面に並ぶ勇姿が見所です。
白壁の城壁が2基の櫓の間を結び、明石城を代表する姿となっています。
また天守台は本丸の隅に残されており、その姿も見どころの一つです。
主な遺構
巽櫓
坤櫓
本丸
二の丸
東の丸
天守台
石垣
堀
土塁
縄張(なわばり)
明石城は明石海峡を望む丘陵地に築城されました。
自然地形を巧みに用いた三重の堀と三段構えの曲輪(くるわ)となっています。
この縄張りは、築城の指導にあたった姫路城主・本多忠政(ほんだただまさ)によるものといわれています。
本丸を中心とした連郭式(れんかくしき)の縄張りとなっています。
本丸には巨大な天守台が築かれましたが、天守は建てられませんでした。
本丸には4基の三重櫓(さんじゅうやぐら)が築かれましたが、そのうち2基が現存しています。
現存する12基の三重櫓のうちの二つが明石城にあるのです。
坤櫓(ひつじさるやぐら)と巽櫓(たつみやぐら)は共に平成7年の阪神淡路大震災で被災しましたが、修理工事が行われて修復されました。
また、それに合わせて二つの櫓を結ぶ土塀も復元整備されました。
坤櫓(ひつじさるやぐら)は伏見城から移築されたと言われています。
初重には千鳥破風(ちどりはふ)、二重目には唐破風(からはふ)が設置され、白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)の端正な三重櫓です。
歴史
元和(げんな)3年(1617)に松本城主だった小笠原忠真(おがさわらたただざ)が明石に入りました。
翌元和(げんな)4年(1618)に西国の諸大名に対する監視役として、2代将軍徳川秀忠(とくがわひでただ)から築城の命が下りました。
元和(げんな)元年(1615)の一国一城令(いっこくいちじょうれい)により廃城となった近隣の城の材料を用いて、元和(げんな)5年(1619)から1年間で築城されました。
明石城の基本情報
別名 | 喜春城(きはるじょう、きしゅんじょう) |
所在地 | 〒673-0847 兵庫県明石市明石公園1-27 |
城の種類 | 平山城 |
築城年代 | 元和5年(1619) |
築城者 | 小笠原忠真 |
主な城主 | 小笠原氏、松平氏(戸田氏)、大久保氏、松平氏(藤井氏)、本多氏、松平氏(越前氏) |
文化財史跡の区分 | 国指定史跡、重要文化財3件 |
主な復元や整備 | 平成7年の阪神淡路大震災により被災したが、災害復旧。 平成7から8年に石垣復旧 平成9から11年に巽櫓、坤櫓復旧 平成9から11年に土塀を復元 |
天守の現況 | 天守台のみ残る |
アクセス | JR山陽本線「明石」駅、山陽電鉄本線「山陽明石」駅から徒歩約5分 |
日本100名城スタンプ設置場所 | 明石公園サービスセンター |
関連施設 | 明石市立文化博物館 |
リンク | 明石城公式ウェブサイト 明石公園 |
地図・マップ
まとめ
日本100名城・58番・明石城(あかしじょう)をご紹介しました。
お城めぐりの参考にしてください。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年04月18日
犬山城マイスター!たかまる。