日本100名城・62番・和歌山城(わかやまじょう)をご紹介します。
和歌山城(わかやまじょう)は、徳川御三家・紀伊徳川家(きいとくがわけ)の居城です。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
和歌山城(わかやまじょう)#062『徳川御三家・紀伊徳川家(きいとくがわけ)の居城』
日本100名城・62番・和歌山城(わかやまじょう)をご紹介します。
和歌山城(わかやまじょう)は、徳川御三家・紀伊徳川家(きいとくがわけ)の居城です。
和歌山県和歌山市にあります。
見どころ
豊臣、浅野、徳川の三期にわたって築かれた石垣が見所です。
野面積(のづらづみ)、打込接(うちこみはぎ)、切込接(きりこみはぎ)などの様々な石垣がを見ることができます。
西の丸庭園は城内に残る庭園遺構として、とても貴重な遺構です。
連立式(れんりつしき)の外観復元天守(がいかんふくげんてんしゅ)や名勝・紅葉庭園が整備されています。
主な遺構
岡口門
岡口門続塀
追廻門
西の丸庭園
石垣
堀
縄張(なわばり)
和歌山城は、紀ノ川(きのかわ)と和歌川(わかがわ)に挟まれた標高48 m の小山に築かれています。
現在見られる和歌山城の姿は、元和5年(1619)に徳川家康の十男・頼宣(よりのぶ)が入城した時に徳川御三家・紀伊徳川家の城として大改修されたものです。
二の丸、砂の丸などの曲輪や庭園が造成されました。
虎伏山(とらふすやま)山頂に本丸を置き、広大な平山城(ひらやまじろ)として作られました。
大天守は三重三階で、小天守、乾櫓(いぬいやぐら)、二の門などが多門櫓(たもんやぐら)で結ばれた連立式天守(れんりつしきてんしゅ)です。
虎伏山(とらふすやま)に築かれた平山城の姿がよくわかります。
現在見られる天守は、昭和33年(1958)にRC造(鉄筋コンクリート造)で再建された三重の外観復元天守(がいかんふくげんてんしゅ)です。
破風(はふ)などでたくさん飾られた装飾性の高い天守となっています。
岡口門は、現在は切妻屋根(きりつまやね)の櫓門(やぐらもん)のように見えますが、本来は左右に続櫓(つづきやぐら)が接続した厳重な門でした。
和歌山城は、三大連立式天守(さんだいれんりつしきてんしゅ)のひとつに数えられます。
歴史
和歌山城は天正13年(1585)に羽柴秀長(はしばひでなが、後の豊臣秀長(とよとみひでなが))が築いたのが始まりです。
慶長5年(1602)、関ヶ原の戦いの功績によって浅野幸長(あさのよしなが)が入城し、大改修を行いました。
さらに元和5年(1619)には徳川家康の十男・頼宣(よりのmぶ)が入城しました。
徳川御三家にふさわしい城にするため、大拡張・大改修が行われました。
連立式天守(れんりつしきてんしゅ)は嘉永(かえい)3年(1850)に再建されましたが、第二次世界対戦により焼失してしまいました。
現在見られる天守は昭和33年(1958)に鉄筋コンクリート造で再建された外観復元天守(がいかんふくげんてんしゅ)です。
和歌山城の基本情報
別名 | 竹垣城(たけがきじょう) 虎伏城(とらふすじょう) |
所在地 | 〒640-8146 和歌山県和歌山市一番丁3 |
城の種類 | 平山城 |
築城年代 | 天正(てんしょう)13年(1585) 慶長(けいちょう)5年(1600) 元和(げんな)5年(1619) |
築城者 | 羽柴秀長(豊臣秀長)、浅野幸長、徳川頼宣 |
主な城主 | 羽柴氏(豊臣氏)、桑山氏、浅野氏、徳川氏 |
文化財史跡の区分 | 国指定史跡、国指定名勝 |
主な復元や整備 | 平成18年に御橋廊下を復元しました。 また表坂入口付近石垣、裏坂下東石垣などの修理も行われています。 |
天守の現況 | 層塔型、三重三階、鉄筋コンクリート造 |
アクセス | JR 紀勢本線「和歌山」駅、南海本線「和歌山市」駅から和歌山バスで約10分「公園前」下車、徒歩すぐ |
日本100名城スタンプ設置場所 | 和歌山城天守閣楠門受付 |
関連施設 | 和歌山県立博物館 和歌山歴史館 |
リンク | 史跡和歌山城 |
地図・マップ
まとめ
日本100名城・62番・和歌山城(わかやまじょう)をご紹介しました。
和歌山城(わかやまじょう)は、徳川御三家・紀伊徳川家(きいとくがわけ)の居城です。
和歌山県和歌山市にあります。
お城めぐりの参考にしてください。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年05月11日
犬山城マイスター!たかまる。