続日本100名城・119番・杉山城(すぎやまじょう)をご紹介します。
杉山城(すぎやまじょう)は、技巧的な縄張りの武蔵の山城です。
埼玉県比企郡嵐山町にある城跡(中世山城)です。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
杉山城(すぎやまじょう)#119『技巧的な縄張りの武蔵の山城』
続日本100名城・119番・杉山城(すぎやまじょう)をご紹介します。
杉山城(すぎやまじょう)は、技巧的な縄張りの武蔵の山城です。
埼玉県比企郡嵐山町にある城跡(中世山城)です。
見どころ
小高い丘陵地に高低差を利用して作られた曲輪(くるわ)。
連続する折れなどがよく見ることができます。
空堀(からぼり)や切岸(きりぎし)、堀切(ほりきり)といったものも多く残されており、土造りの城であることがよく体感できます。
また様々な場所に虎口が配置されており、横矢掛かりを体感することができます。
主な遺構
本郭
南二の曲輪
東二の曲輪
北二の曲輪
堀
土塁
小口
縄張(なわばり)
小高い丘陵地の狭い尾根を巧みに利用した縄張りが見所です。
高低差を利用しておよそ10の曲輪(くるわ)が配置されています。
本曲輪を中心にして、南、東、北の三方向に曲輪群を階段状に展開しています。
土塁(どるい)や堀(ほり)などで造成された縄張りは、技巧的な土づくりの城です。
いたるところに屈曲=折れが多用されており、敵を側面攻撃しやすくする工夫が見られます。
虎口(こぐち)には、ほぼ全てで食い違いや折れが施されています。
また枡形(ますがた)が設けられるなどして、高い技術力を誇っています。
本丸北側には、北方からの敵に備える切岸(きりぎし)や、裾部には堀切(ほりきり)が設けられています。
歴史
杉山城がいつ誰によって築かれたかは不明です。
しかし近年の発掘調査によって、15世紀末以降とみられる遺物が出土しました。
そのことから長享の乱(ちょうきょうのらん、1487~1505)には山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)と扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)に対抗して築いたという説が有力になっています。
杉山城の基本情報
別名 | - |
所在地 | 〒355-0221 埼玉県比企郡嵐山町杉山 |
城の種類 | 平山城 |
築城年代 | 不明 |
築城者 | 不明 |
主な城主 | 山内上杉氏 |
文化財史跡の区分 | 国指定史跡 |
主な復元や整備 | - |
アクセス | 東武東上線「武蔵嵐山」駅から徒歩約35分 |
日本100名城スタンプ設置場所 | 埼玉県比企郡嵐山町役場庁舎 玄関ホール |
関連施設 | - |
リンク | 杉山城 |
地図・マップ
まとめ
続日本100名城・119番・杉山城(すぎやまじょう)をご紹介しました。
杉山城(すぎやまじょう)は、技巧的な縄張りの武蔵の山城です。
埼玉県比企郡嵐山町にある城跡(中世山城)です。
お城めぐりの参考にしてください。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年07月08日
犬山城マイスター!たかまる。