お城の正面を大手(おおて)というのに対して、 裏側を搦め手 (からめて) と言います。
一般的に大手の反対側が搦め手になりますが、犬山城の場合はどうでしょうか?
そこには内田門という門が建てられ、厳重に守られていました。
詳しく解説していきます。
目次 閉じる
犬山城・内田門(うちだもん)-城の裏口・搦め手にあたる門
お城の正面を大手(おおて)というのに対して、 裏側を搦め手 (からめて) と言います。
一般的に大手の反対側が搦め手になりますが、犬山城の場合はどうでしょうか?
そこには内田門という門が建てられ、厳重に守られていました。
詳しく解説していきます。
内田門があった場所
お城の正面を大手と言います。
それに対して裏側を搦め手 (からめて) と言います。
一般的に大手の反対側が搦め手になります。
例えば南側が大手だったら、北側が搦め手という具合です。
犬山城の場合は、今の福祉会館の辺りが大手です。
それに対して反対側と言うと、木曽川になってしまいます。
これは、この土地の地形を利用した城造りのためです。
なので、犬山城の搦め手は、大手からみて北東の方向になります。
それが内田門です。
そして、そこは東谷(ひがしたに)という曲輪の出入り口でもありました。
内田門跡の現在の状況
内田門跡の現況は、明治以降の開発によって遺構はほとんど残っていません。
古地図と照らし合わせると、おそらく写真の辺りです。
右手はホテル、左手には郷瀬川があり、現在は道路になっています。
遺構らしきものはなんもないけど、現地に行って見てみるのもいいですよ。
内田門は移築されている
犬山城の搦め手には内田門。
さらに内田門の東側、つまり外側には、馬だしという防御施設がありました。
東側からの攻撃に備えた造りとなっていたのです。
犬山城の門や櫓は 、明治になった時にほとんどが取り壊されていますが、内田門はお寺に移築されたと言われています。
内田門から東側に行った瑞泉寺というお寺に移築されたと言われており、今でもお寺の山門として使われています。
移築された門についてはコチラの記事で解説しています↓↓↓
それと、犬山城の門については、コチラの記事でまとめています。
ご参考にどうぞ。
内田門は薬医門(やくいもん)という形式の門
内田門を移築されたと言われる瑞泉寺山門は薬医門(やくいもん)です。
薬医門(やくいもん)は格式の高い門で、城の重要なところに置かれました。
しかし、絵図を見ると内田門は櫓門(やぐらもん)で描かれているものがあります。
城とまちミュージアムに設置されているジオラマも櫓門となっています。
どちらが正解だったのか?
今後の研究をまちましょう。
薬医門、櫓門について詳しくはコチラの記事で解説しています。
まとめ
犬山城の搦手口は北東に設けられ、そこには内田門が構えられていました。
そして内田門は、犬山城にほど近い瑞泉寺というお寺に移築されていました!
それと、犬山城の門については、コチラの記事でまとめています。
ご参考にどうぞ。
ということで、搦手も厳重に守りを固めている、犬山城でした。
じゃあね🖐️
2019年02月11日
犬山城マイスター!たかまる。