犬山城跡が平成30年2月に国の史跡に指定されてから1年が経ちました。
この「史跡犬山城跡」を活かすためには何が必要なのか?
これからどうしたらよいのか?について、「史跡犬山城跡指定記念シンポジウム」が開催されましたので、レポートします。
犬山城の魅力 - 【基調講演】
まずは、基調講演として名古屋工業大学の麓先生の講演がありました。
本来なら2時間以上かかる内容を35分で話をしなければいけないので、なかなか大変ですが・・・という前置きがありました(笑)
たしかに犬山城の魅力を35分で話せというほうが無理がありますよね。
でも、何かとまとめてお話しされていました。
そこはさすがです!
では、基調講演の内容をまとめてみましょう。
二の丸の名前がユニーク!
・正保4年(1647)と天和元年(1681)の絵図を比較してみると、通称「二の丸」の名前の変遷が分かる。
・「二の丸」は4つの独立した曲輪に分かれており、それぞれ名前がついている。
・「杉の丸」(すぎのまる)、「樅の丸」(もみのまる)、「桐の丸」(きりのまる)、「松の丸」(まつのまる)という樹木の名前が付けられている。
・このネーミングは独特で、他にはあまり見られない。とてもユニーク。
櫓の名前がユニーク
・本丸には櫓が4つあった。
・そのうち3つは「大砲櫓」(たいほうやぐら)、「鉄砲櫓」(てっぽうやぐら)、「弓矢櫓」(ゆみややぐら)という武器の名前がついている。
・有事に備えて武器庫として使われていたと思われる。
空堀、切岸などの人工的な防御施設が残っている
・明治維新後に廃城となり、堀は埋められ、門や櫓は壊されたり売却されたりした。
・その中でも、樅の丸の西側の空堀(からぼり)が遺構として残っている。
・本丸の東側、樅の丸の西側に人工的に作った断崖絶壁=切岸(きりぎし)が残っている。
・総合調査によって、埋没していたり、見ることができなかったりした遺構を発見することができた。
・犬山城は、現存天守だけではない。
城とまちミュージアムのジオラマが秀逸
・犬山城白帝文庫が絵図などを多数所有、保管している。
・平面図だけではわかりにくいが、それらの絵図に基づいてジオラマを制作した。
・それにより立体的に、また、視覚的に犬山城を捉えることができる。
・城とまちミュージアムに常設展示している。
・例えば、本丸から三の丸に向けて段階的に下がっていくように曲輪を配置している。大手道は各曲輪と門によって連続外枡形(れんぞくそとますがた)を形成している。本丸の裏口=搦め手(からめて)・七曲道(ななまがりみち)が再現されている。松の丸御殿・西御殿・三光寺御殿のそれぞれを精巧に復元している。特に屋根は特徴をよく再現している。など。
城とまちミュージアムに興味がでたら、こちらをどうぞ。
天守の特徴
・犬山城天守は、前期望楼型(ぜんきぼうろうがた)という最も古い様式である。
・1階部分は矩形をしておらず、東面が南に行くにつれて広がっている。
・一方で、その広がった1階の軒先をできるだけ2階と並行にするために屋根を工夫している。
・架構(かこう)でみると、1・2階は通し柱、3・4階も通し柱になっており、下の階と上の階では建築した時期が異なる。
・天守は創建時は2階建てで、しかもこけら葺きだった。
・内部の柱や梁の加工痕(かこうこん)を見ると、当時の大工道具の技術と建築技術がわかる。そこから建築した年代の推定ができる。
・加工痕の研究は、犬山城天守の調査を行って初めて手掛けたもの。ここからスタートしてとても興味深く、以後全国の建築物で研究を続けている。
・加工痕を現場で調査していると、観光客が集まってきて興味を示している。説明をするととても興味を持ってくれる。
まとめると
・犬山城の魅力は天守だけでなく、城山全体に当時の遺構などが状態良く残っている。
・曲輪、空堀、切岸などが遺構として残っている。
・他の城とは違う特徴が多数ある。
・城とまちミュージアムにあるジオラマで当時の様子を俯瞰できる。
・天守も特徴的であるが、特に木材の加工痕から時代を感じることができる。
・何より、その話をしている麓先生がとても楽しそうだった(笑)
史跡犬山城跡の保存活用 - 【パネルディスカッション】
パネルディスカッションは、山村先生、高瀬先生、麓先生、コーディネーターはニワ里ネットの赤塚氏です。
登壇者の紹介は後述します。
この4人でのディスカッションでは、史跡犬山城跡の保存活用のためのさまざまな意見が出されました。
まとめてみましょう。
犬山城跡の歴史的価値
京都大学准教授の山村先生より
犬山城の価値を考えるうえで城下町も一緒に考える必要がある。
・美濃と尾張の境目であること - 政治的・軍事的に重要なポジション
・木材の運搬など経済の要衝であったこと - 経済的に重要なポジション
・江戸時代の城主成瀬氏の立ち位置 - 尾張藩の付家老であり、徳川家の直臣である
・江戸、名古屋、犬山を拠点としていたため、犬山がコンパクトにまとまっていた
・名古屋城と地形が似ているが、中世から続く土地柄である
・城下町の道一本一本に歴史があり、意味がある
・江戸時代を通して御殿の重要性が高まり、それに向けて城下町からのビスタを整備した
名古屋工業大学教授の麓先生より
・現存している天守は12しかなく、その中で国宝に指定されているのは5城の天守のみ
・城跡が史跡に指定されているものは数多くあるが、犬山城跡は2018年まで史跡指定されていなかった。国史跡に指定され、価値が見直された
・本来あった価値を、今、再確認している。見える化する必要がある
保存活用について
元奈良大教授の高瀬先生より
・史跡犬山城跡の保存活用計画とは、犬山城をどういう風に認識しているのか?
・どこに価値を認めているのか?
・どこを守るべきで、どこは共存させるのか?
・史跡の保存活用計画とは、その考え方を市民も含めてみんなで共有するもの
麓先生より
・史料や移築されて現存している門などは大変貴重である
・総合調査はごく一部しか行っていない
・大きなビジョンの上に、調査・整備していく
・計画的に進めていくこと
今後の活用について
犬山市は史跡犬山城跡の整備保存計画を来年度から策定していき、これを2021年度に完成させる予定とのこと。
それを踏まえてパネリストからのお話をまとめてみましょう。
高瀬先生より
・近世城郭は遺跡としての認識が低いと感じる。
・城はこうだったと伝えるのも大事だが、今の状態のままで昔を偲ぶというのも大事ではないか?
・地元の誇りと思えるものであるべきだし、愛着の原点である
麓先生より
・木材の加工痕は400年前の大工と会話しているのと同じで、ロマンがある
・切岸は見学できるようにするべき
・杉の丸も見学できるように整備できる
・七曲道(本丸の搦め手)も危険な状態であるが、整備していく
・城下町も同じで、できるだけ残して見える化する
・案内板などを各所に配置し、見える化する
山村先生より
・絵図を細かく見ていくと、足軽屋敷の変遷などが見える
・絵図や史料がもっているリアリティと、現場のリアリティをうまく使うこと
・400年前と今を行き来することができる素材が犬山にはたくさんある
・ブラタモリは、普段当たり前と思っている風景に、実はもの凄い価値があることを再発見し、可視化していることが人気の要因
・地元の人の手で見つけて、見える化していく仕組みが必要
まとめと感想
著者たかまる。的、感想
犬山城マイスターを名乗る私、たかまる。が今回のシンポジウムを拝聴して思ったことをまとめてみます。
まずは犬山城の魅力を短い時間で理解することは難しい。
麓先生のお話は大変よくまとまっていましたが、あらかじめ知っている人にはうなずける内容。
だけど初めて聞く人には ”はてな” がたくさんの内容だったと思う。
これはもちろん麓先生の話が悪いということではなくて、内容が専門的で、解説を必要とするということと、魅力と思うところが多いということ。
そのために、たかまる。のような発信をする人がもっともっと必要なのかもしれない。
どうしなければいけないのか?
率直に言って、犬山市民や犬山市にかかわっている人が、国宝犬山城天守を含む史跡犬山城跡をどうしていったらいいのか?どのように保存・整備・活用していくのか?ということを、考えなければいけない。
そのためにも、犬山城の現状と、往年の姿や役割などを知ることが大事かなぁと思いました。
高瀬先生もおっしゃっていたように、地元の誇りと胸を張って言えるように市民も含めて犬山城に対する考え方を共有しなければいけない。
市がやること、白帝文庫がやることというのではなくて、市民レベルでもやらなきゃいけないことがあるのではないか?
今回のシンポジウムは、そういうことを提言されたのだと思いました。
誰が聞いていたのか?
では、それを提言された今回のシンポジウム。はたして市民は聞きに来ていたのだろうか?
今回のシンポジウムには、所有者である犬山城白帝文庫のみなさん、犬山市教育委員会歴史まちづくり課のみなさん(主催だから当然ですが)、ボランティアガイドのみなさん、あとは城好き・歴史好きのみなさんなどが参加されていました。
あと、山田市長もお見えで最初の挨拶もされていました。
私はすべての方と親交があるわけではないので、存じ上げない方のほうが多いですが、そんな方たちがいたように思います。
そして残念だったのが、市議会議員の方々の姿がなかったことと、意外と人が少なかったこと。
あまり宣伝もしていなかったから、まずシンポジウムそのものを知らないというのが大きいし、市民の関心があまりないということでしょう。
市議会議員の方々はお忙しいんでしょうけど、たぶんどなたもおいでにならなかったと思います(おみえになっていたら申し訳ありません)。
残念ですよね。興味がないんでしょうかね?
でも大事な話をされていたと思いますので、こういうのにも参加して登壇された先生方のご意見を聞いてほしかったと思います。
ではどうする?
市民の犬山城に対する認識を高める必要があるでしょう。
たかまる。はそのための発信を続けていきます。
そして、何をきっかけでもよいので、もっと犬山城のことに関心を持ってもらいたい。
山村先生もおっしゃってました。
素材はたくさんある。それを市民の手で発見して、見える化していくことが大事。
そのための動きが出てくることを期待します。
そして、たかまる。も動きます。
裏話
シンポジウム終了後、麓先生に少しお時間いただいて直接お話させていただけました。
そこで、私がずーーーーっと疑問に思っている「天守創建年代」について聞いてみたところ、意外な、そして大胆なお話をいただきました。
ここで詳しく書いちゃっていいかわからないので要約すると、
・犬山城天守の創建年代は、現時点では不確定である。
・文化庁や一般的に言われている年代よりも古い可能性がある。
・その仮説を検証するために、これから調査を行う。
・その結果によっては、大きな論争を呼ぶ可能性がある。
これ以上はなかなか書きにくいので、察してください(笑)
あとは、たかまる。に会った時にでも聞いてください。
お話していただいた麓先生の嬉しそうなというか、ワクワクされているのがこちらにもビシビシわかって、私も興奮してしまいました。
今後の調査をとても楽しみにしています!
あ~、はやくやらないかなぁ。
というところで、今回のシンポジウムについてのレポートを終わります。
この後は、シンポジウムのインフォメーションを。
史跡犬山城跡指定記念シンポジウムとは?
犬山城跡が国の史跡に指定されてから約1年が経ち、その間に天守の修理や西御殿跡地の調査及び整備を行ってきたけど、より一層「史跡犬山城跡」を活かすためには何が必要なのか?を一緒に考えましょう!というシンポジウム。
「史跡犬山城跡」の歴史的価値を改めて確認するのと、専門家によるパネルディスカッションが行われました。
シンポジウムはいつ、どこで行われたのか?
日時 | 平成31年2月9日(土曜日) 午後2時から午後4時30分 |
場所 | 犬山国際観光センターフロイデ フロイデホール |
内容 | (1)基調講演 麓和善氏(名古屋工業大学大学院 教授) (2)座談会【パネリスト】 麓和善氏(名古屋工業大学大学院 教授)高瀬要一氏((元)奈良文化財研究所 文化遺産部長) 山村亜希氏(京都大学大学院 准教授)【コーディネーター】 赤塚次郎氏(古代邇波の里・文化遺産ネットワーク 理事長) |
パネリスト紹介
当日登壇されたパネリストの方々を勝手に紹介します。
- 麓和善氏(名古屋工業大学大学院 教授)
麓先生は、犬山城城郭調査委員会のメンバーでもいらっしゃる方で、犬山城の調査や研究に長く携わって見えます。
言ったら、犬山城のエキスパート。
しかも名古屋工業大学の教授でもある、超・専門家の先生です。
基調講演もされました。
- 高瀬要一氏((元)奈良文化財研究所 文化遺産部長)
高瀬先生も犬山城城郭調査委員会のメンバーとして携わって見える方です。
文化財の専門家の先生ですので、いろいろな角度から犬山城の価値というものを見出してくれました。
- 山村亜希氏(京都大学大学院 准教授)
山村先生も犬山城城郭調査委員会のメンバーです。
城下町などの歴史地理学が専門でらっしゃる方です。
犬山城下町の形成についても歴史を紐解いた研究発表をされており、大変興味深い内容でした。
NHKのブラタモリをご覧になられてる方は見たところあるかもしれません。
名古屋にタモリさんが来た時に案内されていましたね。
そしてコーディネーターは、
- 赤塚次郎氏(古代邇波の里・文化遺産ネットワーク 理事長)
赤塚氏は通称・ニワ里ねっとの理事長でいらっしゃる方です。
犬山には数多くの貴重な文化遺産が存在しており、これらの文化遺産を学問的に評価し、地域の歴史・文化教育活動等に活用するため活動をされているのがニワ里ねっとです。
犬山城跡の保存活用について考えましょう!
まず、国史跡犬山城跡について知りたいって方は、コチラをご覧ください。
国史跡犬山城跡の活用については、たかまる。としても思うところがあり、いろいろと書いていますので、こちらも併せてごらんいただくと、国史跡犬山城跡についておおよそ理解できると思いますよ。
これを機会に、犬山城跡のことをどのように保存、活用するのが良いのかをみんなで考えましょうね❗
ということで、史跡犬山城跡指定記念シンポジウムのレポートでした。
じゃあね👍
2019年02月10日
犬山城マイスター!たかまる。