小牧・長久手の戦いのあと犬山は誰が治め、誰が城主になったのでしょうか?
八代目は武田清利か、中川定成か?
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犬山城八代目城主は武田清利か?中川定成か?
犬山城を舞台にした小牧・長久手の戦い(天正12年、1584年)も、織田信雄と羽柴秀吉が和睦を結んで終結を迎えました。
その後、犬山を占領していた秀吉方が撤退し、織田信雄に返還されました。
秀吉の家臣の加藤光泰も犬山を去りました。
織田信雄は尾張をもう一度治めるために検地を行いました。
そして犬山城主を決めました。
犬山城ウェブサイトや犬山市史では7代目は武田清利とされていますが、先ほどの検地の記録である「織田信雄分限帳」を見ると中川定成に犬山を与えています。
そうです。
4代目城主だった中川定成が天正13年(1585年)には城主に返り咲きました。
その後、天正14年(1586年)の書状からこのころは武田清利が犬山にいたと推定されています。
武田清利については織田信雄の家臣ということぐらいで、ほとんど記録がありません。
調べてもほとんど出てきません。
根気よく調べなきゃいけないですね。
●城主データ●
中川定成
八代目城主
在位 約1年:天正12年(1584)11月~天正13年(1585)
●城主データ●
武田清利
九代目城主
在位 約1年:天正14年(1586)~天正15年(1587)7月ごろ
犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。
ということで、
八代目は中川定成、九代目は武田清利とします。
ということで、混乱の天正期もじっとしていた、犬山城でした。
じゃあね🖐️
2019年04月18日
犬山城マイスター!たかまる。