山城は中世に多く作られましたが、近世になってもそのまま使われたものなどたくさんあります。
この中で、三大山城(さんだいやまじろ)と呼ばれる岩村城(いわむらじょう)、高取城(たかとりじょう)、備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)をご紹介しましょう。
三大山城をご紹介
三大山城と言われるものは、
です。
岩村城(いわむらじょう)
本丸を中心に石垣が残っており、圧巻です。
近世城郭では最も高い、海抜717mのところに本丸があります。
織田信長の叔母が城主だったとして、有名です。
城は山頂一体に階段状に作られた曲輪と、山麓の居館とで構成されていました。
山麓の太鼓櫓や表御殿は平成になって復元されました。
高取城(たかとりじょう)
筒井順慶によって近世城郭に改修された高取城は、標高583mの高取山に築かれました。
比高は最も高い390mです。
江戸時代は本多氏、植村氏が城主を務めました。
南北に長い尾根筋に高石垣が築かれ、27基の櫓が備えられた大城郭でした。
かつては三重三階の天守が小天守とともに建てられていたそうです。
27基の櫓が備えられた大城郭でした。
備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)
天守が現存していることで有名ですが、現在十二天守の中で唯一の山城であり、最も高いところに建てられています。
小堀遠州(こぼりえんしゅう)が城番も勤めたこともあるそうですが、江戸時代には池田氏、水谷氏、板倉氏など、城主がよく変わりました。
城の縄張りは四つの峰にまたがり、天守は標高430mの小松山に築かれました。
平成9年に平櫓や塀、本丸南御門が復元されました。
天然の岩盤と人工の高石垣の組み合わせは圧巻。
山城とは?
まずは山城(やまじろ)とはについて。
山城は山や丘の山頂部分を利用して築かれた城です。
戦国時代は山城が主流でしたが、山は平地が少なく家臣団の居住スペースを確保するのが困難になり、平山城(ひらやまじろ)や平城(ひらじろ)に変わっていきました。
一方で、江戸時代になっても活用されていた山城もあります。
山麓に居館を作って住み、有事には山城に立てこもるという二元構造をとっていました。
近世山城の特徴は、山頂の城郭には壮大な石垣を持つことです。
地形を利用しつつ、そこにあわせて石垣を構築しています。
また、近世城郭の特徴でもある櫓や門、塀なども近世山城にも備わっていました。
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まとめ
三大近世山城は、近世城郭としては最も高いところに造られた岩村城、近世山城としては大城郭だった高取城、現存天守で最も高く唯一の山城である備中松山城、の3城です。
ということで、三大近世山城のご紹介でした。
じゃあね🖐️
2019年09月17日
犬山城マイスター!たかまる。