お城と言えば天守。そう思っている人がほとんどだと思います。
しかし、近世城郭でも天守のなかったお城は多数ありました。
本記事ではそんなお城を紹介します。
お城巡りを深めたい人にお薦めの情報ですよ。
天守のない城
お城と言えば、天守ですよね。
それらの多くは江戸時代に築城された近世城郭(きんせいじょうかく)と呼ばれ、天守がお城の象徴になっています。
昨今のお城ブームでは中世城郭(ちゅうせいじょうかく)や山城、石垣のお城などに注目が集まっていますが、それでもなお天守がお城と言うイメージはぬぐえません。
しかし、近世城郭の中でも何らかの理由で天守が建てられなかった=もともとなかった城と、天守はあったけど何らかの理由で失ってしまいその後再建されなかった城があります。
順番にご紹介しましょう。
財政難・幕府への配慮して天守を建てなかった城
まずはもともと天守がなかったお城です。
仙台城(宮城県)、明石城(兵庫県)、赤穂城(兵庫県)などが代表例です。
これらは財政難が理由で建てられなかったパターンや、権力の象徴である豪華な天守を建てると幕府に睨まれてしまうから建てなかったパターンです。
仙台城は特に後者だと言われています。
当時はまだ徳川幕府も不安定な状態で、東北の雄・伊達政宗の力は強大でした。
政宗も幕府に忠誠を誓いつつ、虎視眈々と天下を狙っていたなんてことも言われていますから、睨まれないように天守は最後まで建てませんでした。
しかし、城郭全体で言えばとても大きなお城で、天守がなくても十分に伊達家の象徴として機能していたでしょう。
天守が失われたのち再建されなかった城
次は、もともとは天守が建てられていたが、火災や地震などによって失われたのち再建されなかった城です。
金沢城(石川県)、福井城(福井県)などです。
金沢城も福井城も天守台が残っており、立派な天守があったとされます。
しかし、明治の廃城令によって失われたわけではなく、江戸時代に火災や地震などによって失われたのちに再建されなかったのです。
天守が建てられた当時は戦の最後の砦という意味もありましたが、権力の象徴としての意味も強くありました。
そして戦のない江戸時代になると次第に、天守は不要という流れになっていったのでしょう。
天守がない理由
このように天守がもともとなかった城と、天守がなくなって再建されなかった城がありますが、天守を建てなかったまたは再建しなかった背景としては、
1.武力や権力の象徴としての天守の存在価値が薄れていったこと
2.二つ目には武家諸法度や一国一城令などによって普請や大規模な改修などが規制されたこと
が挙げられます。
江戸時代になって戦がなくなると武力と権力の象徴としての天守は建てるのにも維持するのにもお金が必要で、無用の長物とまではいかないですが当然の流れとして天守を建てるということがなくなっていったのでしょう。
また幕府からの規制も厳しかったこともあわせて、天守を建てるという向きにはならなかったのでしょうね。
今の時代の、お城好きな私たちからすると天守を残しておいてほしかった、再建してほしかったなど勝手なことを言いがちですが、このような背景も頭に入れつつお城巡り、歴史探索などをすると楽しみがより深まるのではないでしょうか?
まとめ
天守がもともとなかった城、あったけど失われて再建されなかった城などがありました。
これらには財政的な面、規制的な面、時代による天守の価値感の違いなどがあり、様々な理由によることもわかりましたね。
このようなことも知っていると、お城巡りや歴史探索がより楽しくなると思いますよ。
天守がなかった城へ出かけてみませんか?
じゃあね🖐️
2019年10月27日
犬山城マイスター!たかまる。