犬山城をワイガヤする会
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1537年(天文5年)に築城されたと言われている犬山城。

歴代の城主をまとめました。(江戸時代に書かれた『尾州丹羽郡犬山城主附』や『尾州丹羽郡稲木庄犬山城初築之来由 歴代之城主』などでは木之下城時代も含まれているため、ここでは「犬山城」時代のみとして代数を記載した。)

歴代城主

築城から本能寺の変まで

城主名在位期間
初代(築城者)織田信康
(おだのぶやす)
09年天文6年~天文15年
(1537~1546)
二代織田信清
(おだのぶきよ)
18年天文15年~永禄8年
(1546~1564)
三代池田恒興
(いけだつねおき)
11年元亀元年~天正9年
(1570~1581)
四代織田信房(勝長)
(おだのぶふさ)
02年天正9年~天正10年
(1581~1582)
※在位はおよその期間

本能寺の変から関ヶ原の戦いまで

城主名在位期間
五代中川定成
(なかがわさだなり)
03年天正10年~天正13年
(1582~1585)
六代池田恒興(再入城)
(いけだつねおき)
4週間天正12年3月15日~4月9日
(1584)
七代加藤光泰(作内)
(かとうみつやす)
7ヶ月天正12年4~11月
(1584)
八代中川定成(再入城)
(なかがわさだなり)
01年天正12年11月~天正13年
(1584~1585)
九代武田清利
(たけだきよとし)
01年天正14年~天正15年7月ごろ
(1586~1587)
十代土方雄久
(ひじかたかつひさ)
03年天正15年~天正18年
(1587~1590)
十一代三好吉房
(みよしよしふさ)
02年天正18年~文禄元年
(1590~1592)
十二代三輪吉高
(みわよしたか)
03年文禄元年~文禄4年
(1592~1595)
十三代石川貞清
(いしかわさだきよ)
05年文禄4年~慶長5年
(1595~1600)
※在位はおよその期間

江戸時代から幕末まで

城主名在位期間
十四代小笠原吉次
(おがさわらよしつぐ)
07年慶長5年~慶長12年
(1600~1607)
十五代平岩親吉
(ひらいわちかよし)
04年慶長12年~慶長16年
(1607~1611)
十六代
(成瀬家初代城主)
成瀬正成
(なるせまさなり)
08年元和3年~寛永2年
(1617~1625)
十七代
(成瀬家二代)
成瀬正虎
(なるせまさとら)
34年寛永5年~万治2年
(1625~1659)
十八代
(成瀬家三代)
成瀬正親
(なるせまさちか)
44年万治2年~元禄16年
(1659~1703)
十九代
(成瀬家四代)
成瀬正幸
(なるせまさゆき)
29年元禄16年~享保17年
(1703~1732)
二十代
(成瀬家五代)
成瀬正泰
(なるせまさもと)
36年享保17年~明和5年
(1732~1768)
二十一代
(成瀬家六代)
成瀬正典
(なるせまさのり)
41年明和5年~文化6年
(1768~1809)
二十二代
(成瀬家七代)
成瀬正寿
(なるせまさなが)
29年文化6年~天保9年
(1809~1838)
二十三代
(成瀬家八代)
成瀬正住
(なるせまさずみ)
19年天保9年~安政4年
(1838~1857)
二十四代
(成瀬家九代)
成瀬正肥
(なるせまさみつ)
14年安政4年~明治2年
(1857~1869)

明治維新以降

城主名在位期間
二十五代
(成瀬家十代)
成瀬正雄
(なるせまさお)
46年明治36年~昭和24年
(1903~1949)
二十六代
(成瀬家十一代)
成瀬正勝
(なるせまさかつ)
24年昭和24年~昭和48年
(1949~1973)
二十七代
(成瀬家十二代)
成瀬正俊
(なるせまさとし)
41年昭和48年~平成16年
(1973~2004)
二十八代公益財団法人犬山城白帝文庫現在平成16年~
(2004年~)

参考文献

  • (掲載準備中)

まとめ

  • 初代城主は織田信康
  • 1537年から平成16年までの間に、城主は27名
  • 城主においても犬山城ならではの特徴がある

犬山城は1537年に織田信康によって築城されてから平成16年までの間に、27名が城主として在城していました。

特に特徴的なのは、

  • 小牧長久手の戦いの時に短期間のうちに何人も城主が代わったこと
  • 織田・豊臣・徳川がそれぞれ犬山城を支配下に置いていたこと
  • 明治維新以降も個人所有の城として唯一、平成まで城主がいたこと

このように犬山城には、他のお城にはない特徴として城主のことが挙げられるでしょう。

それだけ立地上の重要性が高かったということですね。

ということで、犬山城の歴代城主のまとめでした。