犬山城は築城当時から450年以上の長い歴史のあるお城です。
その長い歴史をコンパクトにご紹介します。
天文6年 (1537) | 犬山城築城 ➡ 木之下城より移城 |
永禄8年 (1565) | 犬山城落城1565年3月24日(永禄8年2月22日) ➡ 織田信長の尾張統一戦により落城 |
天正12年 (1584) | 犬山城落城 2度目1584年4月23日(天正12年3月13日) ➡ 小牧・長久手の戦いで、池田恒興(羽柴秀吉方)による攻城 |
天正13年 (1585) | 天守の建築を開始か? |
天正18年 (1590) | 天守完成か? |
慶長5年 (1600) | 犬山城落城 3度目1600年10月9日(慶長5年9月3日) ➡ 関ヶ原の戦いの前哨戦で、東軍に降伏して開城 小笠原吉次が松平忠吉の家老として犬山城主となる |
慶長20年/元和元年 (1615) | 一国一城令、武家諸法度が出されるが、尾張藩名古屋城の支城として存続を許される |
元和3年 (1617) | 成瀬正成が尾張藩主・徳川義直の付家老となり、2代将軍秀忠より犬山城を拝領する |
明治4年 (1871) | 廃藩置県により愛知県所有となり、天守以外が取り壊しまたは売却される |
明治6年 (1873) | 廃城令が出され、犬山城も廃城となる |
明治24年 (1891) | 濃尾地震により、犬山城天守半壊 |
明治28年 (1895) | 愛知県から旧犬山藩主・成瀬正肥へ条件付き無償譲渡される |
昭和10年 (1935) | 5月13日、旧国宝法により、天守が国宝に指定される (現・文化財保護法の重要文化財に相当) |
昭和27年 (1952) | 3月29日、文化財保護法により、天守が国宝に再指定される(名称:国宝犬山城天守) |
昭和36年 (1961) | 国宝犬山城天守の保存修理工事が開始 |
昭和40年 (1965) | 国宝犬山城天守の保存修理工事が竣工 8月、「国宝犬山城天守修理工事報告書」発行 |
平成16年 (2004) | 財団法人犬山城白帝文庫が犬山城天守の所有者になる |
平成21年 (2009) | 犬山城範囲確認調査 第1次調査実施 |
平成22年 (2010) | 3月、「犬山市埋蔵文化財調査報告書7:犬山城範囲確認調査」発行 犬山城範囲確認調査 第2次調査実施 |
平成23年 (2011) | 3月、「犬山市埋蔵文化財調査報告書8:犬山城範囲確認調査 第2次調査」発行 犬山城範囲確認調査 第3次調査実施 |
平成24年 (2012) | 3月、「犬山市埋蔵文化財調査報告書9:犬山城範囲確認調査 第3次調査」発行 |
平成29年 (2017) | 1月22日、「犬山城シンポジウム」開催 3月、『犬山城総合調査報告書』発行(麓和善、千田嘉博、山村亜希、鈴木正貴、白水正、犬山市教育委員会著、犬山市教育委員会発行) 6月、旧犬山市体育館跡地発掘調査(6月25日、現地説明会) 7月12日、天守に落雷。北側しゃちほこなど破損 |
平成30年 (2018) | 2月9日、しゃちほこ取り付け、避雷針改修工事開始 2月13日、旧城郭の一部が国の史跡に指定(名称:史跡犬山城跡(しせきいぬやまじょうあと)) 2月26日、しゃちほこ取り付け工事完了 3月17日、犬山城鯱瓦修復・史跡指定記念式典開催 犬山城天守 部分修理・耐震補強工事 |
平成31年/令和元年 (2019) | 犬山城天守 部分修理・耐震補強工事(11月6日~12月24日) |
令和3年 (2021) | 3月、『国宝犬山城天守再考』発行(麓和善・光谷拓実 著、犬山市教育委員会発行) 1585年、1588年に伐採した木材が使用されており、1585~1590年ごろ建設されたと発表 6月18日、国宝犬山城天守・史跡犬山城跡保存活用計画 策定、文化庁長官認定(計画期間:令和3年(2021)4月1日~令和13年(2031)3月31日) 7月19日~11月、犬山城大手門枡形跡(犬山市福祉会館跡地)発掘調査(調査期間:令和3年7月19日(月曜日)~10月29日(金曜日)) 10月3日、犬山城大手門枡形跡(犬山市福祉会館跡地)発掘調査 現地説明会開催 10月24日、犬山城講演会「国宝犬山城天守再考」開催 |
国宝なのに個人所有だった唯一の城、犬山城。今は財団法人が所有者です。
犬山城の別名は白帝城(はくていじょう)。荻生徂徠が名付け親。
犬山城が落城した日
犬山城の「しゃちほこ」がよくわかる完全ガイド
犬山城天守は平成・令和の工事が完了してピカピカになりました!【工事完了記念2020年1月まとめ】
犬山城天守は最古級!? 1585~1588年伐採の木材で建てられたと科学的に証明
廃城の危機!犬山城が経験した天災とは?-築城から現在までに襲いかかった地震、台風をまとめてダイジェストでご紹介します。
犬山城の門や櫓は明治になって払い下げられました。
武家諸法度(ぶけしょはっと)と犬山城
犬山城、廃城の危機! 襲いかかる戦、そして三度の落城 ー 信長の尾張統一戦、小牧・長久手の戦い、関ヶ原の戦い・前哨戦
犬山城天守の創建年代は不明。いつ建てられたのか?
1537年(天文6年)に築城した犬山城。意外と古い?
犬山城は天文6年(1537)に築城以来、三度落城しています。
- 永禄8年2月22日(1565年3月24日)
- 天正12年3月13日(1584年4月23日)
- 慶長5年9月3日(1600年10月9日)
一度目の落城は、織田信長による尾張統一の瞬間でした。
犬山城主・織田信清 vs 尾張の覇者 小牧山城主・織田信長
勝者は織田信長です。
天正12年の犬山城の戦いは、小牧・長久手の戦いのとき。
羽柴方の池田恒興が美濃から尾張・犬山に対して攻め入って、1日で落城しました。
犬山城留守居・中川清蔵主(犬山城主・中川定成の叔父) vs 大垣城主・池田恒興
勝者は池田恒興です。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)の前哨戦、西軍につい犬山城でしたが、無血開城しました。
犬山城主・石川貞清 vs 東軍・徳川方
石川貞清は城を捨て、西軍本拠地に逃れました。
犬山城は天文6年(1537)の築城以来、城主が目まぐるしく代わった城です。
戦国時代に、かつ、国境の城だからこそ取った取られたの激戦があり、そのたびに多くの人が犬山城に入城しました。
【初代犬山城主】犬山城を築城したのは、織田信長の叔父・織田信康(おだのぶやす)!/ 天文6年(1537年)~天文15年(1546年)
【第五代・犬山城主】織田信雄の重臣・中川定成(なかがわさだなり)。境目の犬山城を見誤り、池田恒興に奪われてしまう不運な城主。
【第十三代・犬山城主】石川貞清(いしかわさだきよ=石川光吉(みつよし)は豊臣に忠義を尽くし、最後まで犬山城に立て籠った。
【第十四代・犬山城主】小笠原吉次(おがさわらよしつぐ)が入城し、犬山城は徳川家の付家老の居城となる!
【第十六代・犬山城主】成瀬正成(なるせまさなり)が尾張藩付家老に!そして十六代犬山城主の誕生!
【第二十四代・犬山城主】成瀬正肥(なるせまさみつ)。激動の幕末・明治維新を駆け抜けた男。