お城の天守には必ずある、しゃちほこ。
ここでは犬山城天守のしゃちほこだけにフィーチャーして解説していきます。
この記事を読めば犬山城のしゃちほこがよくわかるだけでなく、お城のしゃちほこって何?ということまでわかってしまう、とってもお得な記事です。
あなたをしゃちほこワールドへお連れします。
では詳しく見ていきましょう。
「しゃちほこ」は、しゃちほこ、シャチホコ、シャチ、鯱、鯱鉾、鯱瓦など様々な呼び方がありますが、このウェブサイトでは表記を「しゃちほこ」と統一します。
犬山城のしゃちほこは、キレイな二股でスリムな体型
大きさは約130cm
犬山城のしゃちほこは、高さ1310mm、長さ650mm、幅370mm、重さ62.5kgです(いずれも概数)。
これは北側のしゃちほこのサイズです。
高さ:1310mm
長さ: 650mm
幅 : 370mm
重さ:62.5kg
他のお城と比べてみると、
姫路城は高さ187cm、松本城は高さ130cm、松江城は高さ210cm、松山城は高さ125cm、などとなっています。
犬山城のしゃちほこのサイズは、天守の大きさにちょうどあうサイズといえるでしょう。
犬山城天守のしゃちほこの取り付け位置は、最上階の屋根の上。
大棟と呼ばれるところの端です。
標高約85mの本丸・天守台下、地上からの高さは約24mです。
つまり、しゃちほこは標高約109mのところに上げられているのです。
位置:犬山城天守の最上階の屋根(大棟)の南北の端に一匹ずつ。向かい合っている
高さ:地上から約24m
標高:約109m
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材質は瓦(かわら)
材質は瓦です。
つまり、粘土です。
瓦(かわら)
これは現在残っている天守(現存天守)では一般的な材質です。
中には、銅板張りのものもありますが、犬山城のしゃちほこは瓦です。
なので、「鯱瓦」(しゃちかわら)とも呼ばれます。
他のお城と比べてみましょう。
瓦製
姫路城、松本城、松山城、備中松山城、丸亀城、熊本城、犬山城など
銅板張り
青銅製
金箔瓦
金シャチ
となっています。
しゃちほこの基本を知るならコチラ >>> 鯱(しゃち・しゃちほこ)
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胴体は分割型
瓦製のしゃちほこは、胴体部分の作り方で大きく2種類があります。
一つは一体型のもの、もう一つは分割型のものです。
犬山城のしゃちほこは北側は分割型、南側は一体型です。
なぜ2体で違った作り方なのかと言うと、作った時代が違うからです。
南のは昭和39年製で、北のは平成30年製です。
犬山城天守は昭和36年から40年にかけて解体して調査・修理が行われました。
このときに、それまで上がっていたしゃちほこを新調したのですが、一体型で制作されました。
それが南北両方に上げられていたのですが、北側のは平成29年に落雷により破損してしまったため、平成30年に新調されました。
そのとき、分割型で制作されました。
それは江戸時代・宝暦2年に制作されたしゃちほこが分割型だったため、それに倣ってつくられたのです。
したがって、南は一体型、北は分割型となっているのです。
南のしゃちほこ:一体型(昭和39年製)
北のしゃちほこ:分割型(平成30年製)
大体は新調するときにすべてを取り換えるものですから、2体のしゃちほこの胴体部分の作り方が異なるというのは、現存12天守の中でも珍しいかもしれません。
ちなみに、他のお城と比較してみましょう。
▲姫路城のしゃちほこ(画像:たかまる。) ▲備中松山城のしゃちほこ(画像提供:高梁市教育委員会)
一体型
分割型
となっています。
犬山城はとても珍しいということがよくわかります。
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胸びれは差し込み型
次に、胸びれに注目して見ましょう。
犬山城のしゃちほこの胸びれは、差し込み型になっています。
差し込み型
胴体部分と胸びれを別パーツで成型して焼いた後、胴体部分に胸ビレを挿し込んで出来上がりです。
これが差し込み型です。
一体型は胴体部分も胸びれも一体式にして成型、焼いていきます。
▲松本城乾小天守に上げられていたしゃちほこ(画像提供:松本城管理事務所) ▲丸亀城のしゃちほこ(画像提供:丸亀市教育委員会)
他の城を見てみると、
差し込み型
松本城、駿府城、和歌山城、姫路城、松山城、熊本城、犬山城など
一体型
となっています。
尾ひれはキレイな二股型
尾ひれに注目して見ると、犬山城のしゃちほこはすっと伸びて二股に分離した形をしています。
これを二股型(ふたまたがた)と呼びます。
二股型(ふたまたがた)
これだけキレイに分かれているのは珍しい形です。
犬山城の特徴といっても良いでしょう。
二股型のほかには扇型(おおぎがた)があります。
ちょうど扇を開いたような形をしているもので、安土城の米蔵跡から出土した破片から推定されたものはきれいな扇型をしています。
また、松山城や熊本城のしゃちほこも典型的な扇型です。
▲熊本城大天守のしゃちほこ(画像提供:熊本城総合事務所) ▲備中松山城のしゃちほこ(画像提供:高梁市教育委員会) ▲高知城のしゃちほこ。青銅製のしゃちほこのひとつ(画像:高知城ウェブサイトより) ▲松山城のしゃちほこ(画像提供:松山城総合事務所)
さらには、扇型なんだけれど二股になっているものも見られます。
備中松山城や高知城のしゃちほこなどです。
これはしゃちほこの形の変遷によるもので、扇型から二股に移行期のものとみられます。
しかし、制作年代と形のしっかりとした関係性まではわかっていません。
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犬山城天守には2体のしゃちほこが上げられている
犬山城天守には何体のしゃちほこが上がっているでしょうか?
答えは2体のしゃちほこが上げられています。
2体(屋根の大棟の端、南と北)
しゃちほこは、天守最上階の屋根の棟(むね)の端につけられています。
屋根の棟の端は普通は二ヶ所になるので、そこにしゃちほこを載せるとなると2体ということになります。
犬山城天守も同じで、最上階の入母屋屋根の棟の端は二ヶ所なので、しゃちほこも2体が上げられています。
しかし、他の城では2ヶ所ではないところもあります。
例えば、新発田城の三重櫓にはしゃちほこが3体、駿府城の巽櫓にもしゃちほこ3体です。
新発田城や駿府城の櫓は屋根が丁字(ていじ)になっていて、棟の端が三ヶ所あるため、しゃちほこが3体上げられています。
それ以外では、姫路城の大天守には合計11体のしゃちほこが上げられています。
姫路城は5重の天守で、入母屋造りの大棟のほかに、千鳥破風などの大棟にもしゃちほこが上げられているからです。
他にも、たくさんのしゃちほこが上げられているお城がありますから、比較して見るのも面白いと思いますよ。
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犬山城のしゃちほこには、数々の歴史がある
ここからは犬山城のしゃちほこにまつわる歴史をご紹介します。
【歴史その1】いつから上げられているのかは、わかっていない
犬山城の天守にいつからしゃちほこが上げられたのかは、記録に残っていません。
しかし、寛文7年(1667年:犬山城白帝文庫蔵)の絵図には天守にしゃちほこが描かれているので、寛文7年(1667)以前にはしゃちほこが上げられていたと推測できます。
【歴史その2】承応2年(1653)、大風により落下
「江戸時代における犬山城の修補」(「犬山城白帝文庫研究紀要」、14、2020年)によると、正事記に承応2年(1653)6月「天守の鱐(しゃちほこ)が落ち、門々の貫の木吹き折れ、塀矢蔵破損多し」と記されています。
犬山城天守のしゃちほこが破損したという最も古い記録です。
【歴史その3】享保16年(1731)、落下により取り換え
「犬山城物語」(「犬山市資料3」、犬山市発行、1987年)には、「享保16年8月に天守大棟の両端にある雌雄のしゃちほこを新調した」と記されています。
享保16年(1731)8月12日の風で乾(いぬい=北西)のしゃちほこが吹き落とされてくだけたため、両方を対で仕立て直して据えなおされました。
しゃちほこは、犬山余坂村の高山市郎兵衛の作と言われます。
【歴史その4】宝暦2年(1752)、天守修理により交換
宝暦2年(1752)には天守の修復が行われました。
6月22日に着手され、上屋根から腰屋根の瓦の葺き替え、土居の修繕、しゃちほこ・鬼瓦・懸魚(げぎょ)の交換、破風(はふ)の修繕、壁の塗り直しなどが行われました。
前述の通り、現在ではこのとき(宝暦2年)のしゃちほこが保存されています。
【歴史その5】昭和39年(1965)「昭和の大修理」で取り換え
犬山城天守は、昭和36年~昭和40年まで解体修理が行われました。
そのとき、しゃちほこも下ろされましたが、復元されたときには新しく作り直されたしゃちほこ(昭和のしゃちほこ)が上げられました。
「国宝犬山城天守修理工事報告書」(1965)には「宝暦に倣って」と記されていますが、昭和のしゃちほこは胴体が分割型となっており、まったく同じように作ったわけではありません。
現在、南側のしゃちほこは、この昭和のしゃちほこが上げられたままです。
そして北側のしゃちほこは下に記すように平成29年(2017)に落雷により破損し、平成30年(2018)に新しく取り替えられました。
北側の破損した昭和しゃちほこは犬山市で保管されています。
【歴史その6】平成29年(2017)、落雷により大破、取り換え
犬山城天守の北側のしゃちほこに雷が落ちて破損しました。
平成29年(2017)7月12日の豪雨・落雷のためです。
すぐさま破片を回収し、応急措置がされました。
南のしゃちほこ:昭和39年(1965)製
北のしゃちほこ:平成30年(2018)製
そして、新しいしゃちほこを制作して平成30年(2018)2月に上げられたのです。
現在上げられているしゃちほこは、北側は平成30年製(2018年製)、南側は昭和39年製(1965年製)のものです。
何があったのか時系列でまとめておきますので、さらに詳しく知りたい方は下の「+」ボタンをタップ(クリック)して見てみてください。
- 2017年7月12日 午後4時ごろ
- 東海地方で記録的短時間大雨
- 犬山も激しい雨と雷が
2017年7月12日 午後4時ごろ。
犬山を中心とする東海地方で、記録的短時間大雨となりました。
犬山市・小牧市など尾張北西部に強大な雨雲が出現。
その雨雲は、超巨大積乱雲「スーパーセル」と呼ばれるものでした。
各地に集中的な大雨と落雷をもたらしました。
犬山も例外ではなく、激しい雨と雷が襲いました。
この大雨により、各地で床上・床下浸水、道路冠水、河川増水・氾濫などの自然災害へとつながりました。
犬山では、午後3時15分ごろ「官林」(遊園地日本モンキーパーク付近)でがけ崩れが見つかりました。
翌日の中日新聞朝刊では、「名古屋など局地豪雨 道路冠水「まるで海」」と報道されました。
- 犬山城天守のしゃちほこが壊れた
- 落雷による破損だった
- 天守北側(戌亥=いぬい=西北)のしゃちほこ
7月12日夕方、衝撃的なニュースが舞い込んできました。
「犬山城天守のしゃちほこが壊れているらしい!」
もしかしたら、雷が落ちたのか?との推測がすぐに頭を駆け巡りました。
当日は雨や被害がひどく確認に行くことはできませんでしたので、翌日の早朝に犬山城天守に行ってみて驚愕。
▲落雷を受けた翌日、しゃちほこは大破していた(画像:たかまる。) ▲大破した犬山城天守のしゃちほこ(画像:たかまる。)
この写真が、2017年7月13日朝のしゃちほこの状態です。
全壊です!!!
衝撃的すぎて、ただ眺めることしかできませんでした。
しゃちほこは、本丸(標高85 m)からの高さ24 mの天守最上部(標高約109m)にあります。
南北に一つずつ据付られていました。
このうち、北側の一体が雷で大破しました。
しゃちほこには避雷針が取り付けられていましたので、そこに落ちたのではないかと推測されました。
西側からの画。北側(左)のしゃちほこがない状態。
- 頭部や胸部は屋根に引っかかっていた
- 全体の三分の一にあたる胴体部分が行方不明になってた
- 2020年3月にほぼすべてが回収
1.しゃちほこの破片
落雷で破損したしゃちほこですが、頭部や胸部は屋根瓦に引っかかった状態で残っていました。
▲大破した犬山城天守のしゃちほこ(画像:たかまる。) ▲落雷を受けた翌日、しゃちほこは大破していた。破片は飛び散り、一部は屋根に引っかかっていた(画像:たかまる。) ▲大破した犬山城天守のしゃちほこの尾ひれ(画像:たかまる。) ▲大破した犬山城天守のしゃちほこの一部か?(画像:たかまる。)
2017年8月1日より天守に足場が組まれ、破片の大部分が回収されました。
全体の三分の一にあたる胴体部分が行方不明になっていましたが、3年後の2020年3月下旬に天守から約30m離れた城山の崖に落ちているのが発見されました。
城山は通常は立ち入り禁止のため、なかなか発見されませんでしたが、市の依頼で樹木の剪定をしていた業者が発見しました。
これで破損したしゃちほこのパーツがほとんど揃ったことになります。
発見されたしゃちほこの胴体部分は縦約40 cm、横約20 ㎝、重さ数キロほどでした。
これほど大きな破片が発見されたのは、今回が初めてです。
尾ひれ2個も屋根に乗った状態や周囲で発見されました。
▲回収された犬山城天守のしゃちほこの破片(画像:たかまる。) ▲回収された犬山城天守のしゃちほこ。胴体(画像:たかまる。) ▲回収された犬山城天守のしゃちほこ。顔の部分(画像:たかまる。)
2.回収の様子
回収されるところまでを写真で追っていきましょう。
2017年7月20日
犬山城天守・最上階の様子は変わったことはありません。
しゃちほこは壊れ、屋根の上に破片が飛び散って載ったままになっています。
2017年7月30日
犬山市などから一斉に応急処置を行うという案内が出されました。
2017年8月1日
犬山城天守のしゃちほこ修理のため足場を設置し始めました。
2017年8月2日
▲しゃちほこの修復のため、犬山城天守に足場が組まれた(画像:たかまる。) ▲しゃちほこの修復のため、犬山城天守に足場が組まれた(画像:たかまる。)
犬山城天守のしゃちほこ修理のための足場が、最上階に達しました。
2017年8月3日
▲しゃちほこの修復のため、犬山城天守に足場が組まれた(画像:たかまる。) ▲しゃちほこの修復のため、犬山城天守に足場が組まれた(画像:たかまる。)
足場の北面にカバーがされて、しゃちほこの破片の回収作業が始まりました。
2017年8月4日
▲しゃちほこの修復のため、犬山城天守に足場が組まれた(画像:たかまる。) ▲大破したしゃちほこが取り除かれた犬山城天守(画像:たかまる。)
犬山城天守の破損したしゃちほこが取り除かれ、鯱束(しゃちづか)と呼ばれる木材が露出しています。
ちなみに、この日は朝からヘリコプターがバタバタと飛んでいました。
2017年8月7日
足場が解体され、作業が完了しました。
2018年8月13日
▲回収された犬山城天守のしゃちほこの破片(画像:たかまる。)
▲回収された犬山城天守のしゃちほこの破片(画像:たかまる。) ▲回収された犬山城天守のしゃちほこの破片(画像:たかまる。)
▲回収された犬山城天守のしゃちほこの破片(画像:たかまる。) ▲回収された犬山城天守のしゃちほこの破片(画像:たかまる。)
▲回収された犬山城天守のしゃちほこの破片(画像:たかまる。) ▲回収された犬山城天守のしゃちほこの破片(画像:たかまる。)
▲回収された犬山城天守のしゃちほこの破片。「宝暦二申七月在銘の鯱に倣い昭和三十九年之作」と刻まれている(画像:たかまる。)
犬山城天守の破損したしゃちほこが、天守内に展示されました。
お盆休みということもあり、大勢の観光客が話題のしゃちほこを見るために訪れていました。
- 2017年(平成29年)7月12日夕方から登城中止
- 安全確保のため
- 7月16日再開
犬山市・犬山城白帝文庫・犬山城管理事務所の適切な判断によって、記録的短時間大雨に見舞われた平成29年(2017)7月12日夕方から犬山城天守への登城が中止されました。
火災報知機などが破損したことなど含めて、安全性が確保できるまでは登城中止となったのです。
そして、関係各所のご尽力のおかげで平成29年(2017)7月16日には登城が再開となりました。
- 平成29年(2018)3月完成
- 2017年11月から奈良県で制作
- 成形、乾燥、焼成
2017年7月に犬山城天守に雷が落ちてから7か月。
平成29年(2018)3月、しゃちほこが復活しました。
その歴史を記録として留めておきます。
1.しゃちほこ、旅立つ!
しゃちほこを復元するためには、図面を作成する必要があります。
昭和の大修理のときに下された江戸時代・宝暦制作のしゃちほこ、今回の落雷で破損した昭和制作のしゃちほこをもとに、綿密な設計がなされました。
現存するものを復元するというのは、容易いものではありません。
想像で作るわけにはいかないからです。
もしそうしたならば、それはもはや復元ではないのです。
なので、2017年11月3日、しゃちほこは奈良県まで旅立ちました。
新しいしゃちほこを生み出すために。
2.しゃちほこの施工は、田中社寺(株)で
今回、しゃちほこの復元にあたり従来のものを復元するということで、施工は田中社寺株式会社(岐阜県岐阜市)、製作は山本瓦工業(奈良県生駒市)が行いました。
山本瓦工業の工場長は「全身全霊を込めて作った」とコメントしているように、
相当プレッシャーもあったことでしょう。
しかし、その重圧に屈することなく、新しい命が吹き込まれました。
3.しゃちほこの制作手順
▲犬山城の新たに制作されたしゃちほこ。乾燥前(画像提供:犬山市教育委員会) ▲窯入れされる犬山城のしゃちほこ(画像提供:犬山市教育委員会)
しゃちほこ制作の手順についてご紹介します。
まずは成形です。続いて乾燥。最後は焼成となります。
- 成形
- 乾燥
- 焼成
という流れ。
乾燥、焼成での収縮を考慮して113.5%で成形されました。
そして今回のしゃちほこの形状は、江戸時代・宝暦のしゃちほこに倣って(ならって)分割型となりました。
ちなみに、昭和のしゃちほこは一体型です。
こちらが出来上がったしゃちほこです。
高さ:1310mm
長さ: 650mm
幅 : 370mm
重さ:62.5kg
しゃちほこの取り付け位置:地上から約24m
4.天守へのしゃちほこの取り付け
いよいよ取付です。
ここからは、取り付け工事について時系列で見ていきます。
2018年2月9日
足場が組まれました。
2018年2月14日
▲しゃちほこ修復のために犬山城天守に足場が組まれた(画像:たかまる。) ▲しゃちほこ修復のために犬山城天守に足場が組まれた(画像:たかまる。)
▲しゃちほこ修復のために犬山城天守に足場が組まれた(画像:たかまる。) ▲しゃちほこ修復のために犬山城天守に足場が組まれた(画像:たかまる。)
足場が屋根のおおむねすべてを覆う状態に設置されました。
しゃちほこが破損したのは北側(写真右側)です。
北側のしゃちほこが新しくつくられ、設置されます。
左側(南側)まで足場が組まれているのですが、南側のしゃちほこのヒレが破損していたため、同時に補修されました。
また、避雷針も新調して取り付けられました。
2018年2月26日
しゃちほこが天守に上げられた日です。
▲犬山城天守に上げられる直前のしゃちほこ(画像提供:山田犬山市長) ▲犬山城天守しゃちほこ修理完了の銘板(画像:たかまる。)
この写真は天守に挙げられる直前のしゃちほこの写真です。
そしてさらに、ここからは貴重な写真です。(写真提供:匿名)
今回のしゃちほこは、江戸時代・宝暦のしゃちほこと同じように分割型になっています。
ちなみに、昭和制作のしゃちほこは一体型です。
▲犬山城天守しゃちほこ設置の様子 ▲犬山城天守しゃちほこ設置の様子
屋根を支える棟木から芯木(鯱束:しゃちづか)が出ています。
しゃちほこの尾の部分を支えるための垂直木です。
これが一体型である昭和のしゃちほこ仕様になっていたため、檜材で延長しました。
この加工は予めできることではなく、現場でその時に調整しなければいけませんでした。
この後は、2分割されたしゃちほこの胴体側から順に取り付けられました。
▲犬山城天守しゃちほこ設置の様子 ▲犬山城天守しゃちほこ設置の様子
▲犬山城天守しゃちほこ設置の様子 ▲犬山城天守しゃちほこ設置の様子
▲犬山城天守しゃちほこ設置の様子
取り付けられていく様子が見られるのは大変貴重です。
そして、公益財団法人犬山城白帝文庫の理事長が、久能山東照宮でご祈祷されたお札も取り付けられました。
理事長は代々城主を務められた成瀬家の末裔の成瀬淳子さんです。
▲犬山城天守しゃちほこ設置の様子 ▲犬山城天守しゃちほこ設置の様子
2018年2月27日
取り付けられた翌日です。
2018年3月13日
足場が取れ、すべての工事が完了しました。
久しぶりに二体・昭和のしゃちほこ(写真左)と平成のしゃちほこ(写真右)が向かい合って並びました。
新聞やテレビなどの各メディアでも大きく報じられました。
5.しゃちほこ復元記念&犬山城跡国史跡指定記念セレモニーが執り行われました2018年3月17日には「しゃちほこ復元記念&犬山城跡国史跡指定記念セレモニー」が執り行われました。
この年の2月に「犬山城跡」が国史跡に指定されたばかりでしたので、平成30年(2018)3月17日にはあわせてセレモニーが行われました。
「しゃちほこ復元記念&犬山城跡国史跡指定記念セレモニー」です。
このセレモニーを拝見するため、筆者も出かけていきました。
▲しゃちほこ修復記念セレモニーには開場前からたくさんの人が並んだ(画像:たかまる。) ▲犬山城天守しゃちほこ修復記念セレモニーで、整理券は「2番」だった(画像:たかまる。)
券売所にたどり着いたのが6時30分。
やったーーーーー1番だーーーー!と思いきや、2番。
何たることか!
1番が取れなかった( ;∀;)
がーーーーん。
ま、いいです。
お譲りします。
大丈夫です。
そう大してショックじゃありませんから。はい。
セレモニーは、除幕式、山田市長のあいさつ、成瀬理事長のあいさつと、滞りなく執り行われました。
そのときのセレモニーの様子は動画にしていますので、ご覧ください。
▲犬山城天守しゃちほこ修復記念セレモニーの様子(画像:たかまる。) ▲犬山城天守しゃちほこ修復記念セレモニーの様子(画像:たかまる。)
先着150名の方に整理券が配られ、しゃちほこと一緒に記念撮影をすることができました。
筆者も新調されたしゃちほこを一緒に写真を撮ってもらいました。
ちなみに、このとき一緒にお披露目されたしゃちほこは予備として作られたものです。
制作過程で何が起こるかわからないということで、2体作ってあったのです。
公益財団法人犬山城白帝文庫 理事長曰く。
兄しゃちと、弟しゃちとのこと。
今回天守に上げられたのは弟しゃちで、兄しゃちは地上から見守ることになりました。
なんとも泣けるエピソード。
成瀬淳子さんの愛情が伝わってきますね。
セレモニーのときのスピーチ。
泣けてきました。
これにて一件落着。
無事に復元して、取り付けも、セレモニーも滞りなく執り行われて、重ね重ね、関係者ではないですけどとてもホッとした思いです。
で、実は、セレモニーのとき、私、テレビにちょっと映ったんです。
インタビューとかはされなかったですけど、記念撮影している様子をNHKが使ってくれました(笑)
お恥ずかしいやら、うれしいやら。
6.しゃちほこ柄の「当たり鯱消しゴム」が配られた
しゃちほこ取り付け10か月後の平成30年(2018)1月には、国宝犬山城を落雷から守ったシャチホコ柄の「当たり鯱消しゴム」が犬山城来場者にプレゼントされました。
▲記念に配布された「当たり鯱消しゴム」(画像:たかまる。) ▲記念に配布された「当たり鯱消しゴム」(画像:たかまる。)
「シャチホコは犬山城の守り神。これから受験シーズンなので、受験生の皆さんの守り神として使っていただけたら」との趣旨で公益財団法人犬山城白帝文庫の成瀬理事長が企画されました。
配布個数は481個。
2018年当時での築城年数(481年)と同数とされました。
犬山城は築城が1537年と言われていますので、2018年は築城から481年にあたります。
ちなみに、天守の創建は1600年ごろと言われています。
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三時代(江戸・昭和・平成)のしゃちほこが一堂に展示されている
犬山城には天守に挙げられていた3時代のしゃちほこが残っています。
・宝暦2年(1752)のしゃちほこ
・昭和39年(1964)のしゃちほこ
・平成30年(2018)のしゃちほこ
一番古いものは江戸時代・宝暦2年(1752)に制作されたしゃちほこです。
260年以上前のもので、現存しています。
次に古いのが昭和39年(1964)に制作されたしゃちほこです。
これは、昭和36年~昭和40年(1961~1965)の「昭和の大修理」のときに新調され、取り付けられたものです。
そして最も若いのが、平成30年(2018)に制作されたしゃちほこです。
2体制作され、1体は天守に上げられ、もう1体は展示・保管されています。
形、色、材料などがそれぞれ異なりますので、これらのしゃちほこを比べて見てみると新たな発見があるかもしれません。
▲犬山城天守の3時代のしゃちほこ。左:江戸時代(宝暦)、中:平成30年制作、右:昭和39年制作(画像:たかまる。) ▲犬山城天守の3時代のしゃちほこ。左:江戸時代(宝暦)、中:平成30年制作、右:昭和39年制作(画像:たかまる。)
これら三時代のしゃちほこは、城とまちミュージアム(犬山市文化資料館)で展示されています。
この三時代のしゃちほこを一堂に見れるのはとってもレアですから、ぜひご覧ください。
2021年現在の様子
令和3年(2021)現在、特にトラブルもなく凛(りん)としています。
東側または西側から写真に撮るのがおススメ
天守の東側、または西側からがしゃちほこが良く見えます。
二体のしゃちほこを写真に収めるのなら、東側または西側がおすすめです。
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しゃちほこは何者か?
ここからはしゃちほこの基礎知識についてです。
しゃちほこの姿があらわになります。
しゃちほこの基本を知るならコチラ >>> 鯱(しゃち・しゃちほこ)
しゃちほこの役割
▲松江城のしゃちほこ ▲安土城で発見されたものをもとに復元されたしゃちほこ
しゃちほこは天守を火から守る想像上の生き物で、霊力があるとされています。
頭が虎、胴体が魚で、尾びれが天を向いて反りかえり、背中にはトゲがたくさんついています。
- 天守を火から守る想像上の生き物
- 頭が虎、胴体が魚
- 水を吐き出して火から守る
- しゃちほこは「上げる」
お腹いっぱい水を溜めこんで、何かあったときには水を吐き出して火から守ると言います。
ちなみに、海のギャング・海の王者と呼ばれるシャチとは関係ありません。
しゃちほこを最初に天守に上げた城は安土城で、織田信長が初めてと言われています。
安土城天主のしゃちほこには金箔が使われ、絢爛豪華だったようです。
しゃちほこは天守の大棟の両端に、向かい合わせで一対として飾られ、火から守る「火除け」とされています。
高貴な建物の象徴とされるので、「上げる」と表現されます。
天守以外にも城内の櫓や櫓門にも上げられます。
しゃちほこが上がっている建物は城内でもとても重要である、ということですね。
しゃちほこの起源
奈良の東大寺大仏殿や唐招提寺金堂の屋根には、鴟尾(しび)と呼ばれる装飾が施されています。
一般的にはしゃちほこは鴟尾(しび)が変化したものと言われています。
鴟尾は古代の宮殿や寺院の大棟の装飾のために生まれたもので、日本には飛鳥時代に中国から伝来しました。
現存する最古の鴟尾は唐招提寺金堂の大棟を飾るもので、奈良時代のものです。
鴟尾は一世を風靡しましたが、平安時代の終焉とともに姿を消していきました。
鴟尾には魔除け・火伏せの意味があって、インドのマカラに由来するとも言われています。
マカラはインド神話に登場する怪魚で、水を操って敵を防ぐ力を持つと言われます。
一方で、鴟尾がしゃちほこに変わったのかというとちょっと違うようです。
鴟尾のあとには鴟吻(しふん)が登場します。中国では螭吻(ちふん)と呼ばれ、日本にも伝来して寺院建築に導入されました。
そして鎌倉時代の絵にしゃちほこが描かれていることから、その頃にはしゃちほこの形となっていたことが確認されています。
つまり、鴟吻がしゃちほこの直接的な起源と考えられます。
▲大法寺(長野県)のしゃちほこ。日本最古と言われる(画像提供:大法寺) ▲大法寺(長野県)のしゃちほこ。日本最古と言われる(画像提供:大法寺) ▲大法寺(長野県)のしゃちほこ。日本最古と言われる(画像提供:大法寺)
大法寺観音堂(長野県)の厨子は鎌倉時代末期に作られたものですが、しゃちほこが飾られています。
日本最古のしゃちほこと言われているものです。
マカラ → 鴟尾(しび) → 鴟吻(しふん) → しゃちほこ
これらの話を整理すると、
マカラ → 鴟尾(しび) → 鴟吻(しふん) → しゃちほこ
と変化・進化してきたと言えます。
城郭建築では、織田信長がそれらの文化を城と融合させ、安土城で初めてしゃちほこを天守に上げたのですね。
しゃちほこという字と読み方
「しゃち」、「しゃちほこ」、「鯱」、「鯱鉾」、「鯱瓦」など様々な呼び方や書き方があります。
しゃちが尾を上に向けて鉾(ほこ)のようにピンと立っているため「しゃちほこ」と呼ばれるようになったとか。
- しゃち
- しゃちほこ
- 鯱
- 鯱鉾
- 鯱瓦
- 魚虎
いまは魚偏に虎と書いて「鯱」ですが、江戸時代には「魚虎」と書かれていました。
色々な材質のしゃちほこがいる
▲熊本城のしゃちほこ。熊本地震の後に宝暦のものをモデルに制作された(画像提供:熊本城総合事務所) ▲駿府城で発見された青銅製のしゃちほこ(画像:たかまる。) ▲岡山城のしゃちほこ。江戸時代に金シャチだったかは不明(画像提供:岡山市観光振興課) ▲かつて丸岡城天守に上げられていた石瓦のしゃちほこ(画像:たかまる。) ▲広島城で発見された金箔が貼られたしゃちほこ。しゃちほこの初期の形と考えられる(画像提供:広島市文化財団広島城) ▲広島城で発見された金箔が貼られたしゃちほこ。しゃちほこの初期の形と考えられる(画像提供:広島市文化財団広島城)
▲松江城のしゃちほこ。木製銅板張りでは最大規模(画像提供:松江市歴史まちづくり部) ▲丸岡城の銅板張りのしゃちほこ(画像:「重要文化財丸岡城天守修理工事報告書」より転載)
瓦
しゃちほこの基本は瓦。
しかし、瓦は割れやすいため、発掘調査でも破片しか出てこないことが多いです。
青銅
軽量化のため、青銅が用いられました。
掛川城天守、宇和島城天守、高知城天守、駿府城などに上げられていました。
金シャチ
名古屋城の「金のしゃちほこ」「金しゃち」は、おそらくもっとも有名。
金しゃちは、寄木(よせぎ)で作った土台に金の板を張って作られていました。
金のしゃちほこの現存例はありません。
銅板張り
木造で形を作って表面に銅板を張ったもの。
寒さに耐えるためとの説があります。
金箔
安土城から発掘されたしゃちほこは、目、牙、前歯、ヒレだけに金箔が貼られていました。
広島城から発見されたしゃちほこも同様です。
石瓦
丸岡城は昭和十五~十七年の修理の際に、福井産の笏谷石(しゃくだにいし)を用いたしゃちほこが上げられました。
現在は当初と同じ銅板貼りのものが復元されました。
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犬山城のしゃちほこグッズ
最後に、犬山城のしゃちほこにまつわるグッズをご紹介します。
犬山城のしゃちほこBOOK
拙著ですが、犬山城のしゃちほこについてまとめた本があります。
ここでも触れている内容もあれば、さらに詳しく書いている内容もあります。
この記事を最後まで読んでくれたあなたならば、この本は欲しいと思うはずです。
もし良かったら手に取ってみてください。
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紙クリップ
お城をモチーフにした珍しい紙クリップです。
犬山城天守、桃瓦、しゃちほこの形をしています。
しおりとしても使える一品です。
珍しいしゃちほこの「犬山城しゃちほこ紙クリップ」
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缶バッジ
犬山城天守正面、西側から見た天守、桃瓦、しゃちほこの缶バッジです。
いずれも著者のオリジナルデザインです。
しゃちほこがモチーフの「犬山城しゃちほこ缶バッジ」
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マグネット
缶バッジと同じ犬山城天守正面、西側から見た天守、桃瓦、しゃちほこのデザインでマグネットにしてみました。
いずれも著者のオリジナルで、他にはない一品です。
しゃちほこがモチーフの「犬山城しゃちほこマグネット」
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まとめ
いかがでしたでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
犬山城のしゃちほこにフィーチャーしてみましたが、なかなか奥が深い話もあり、歴史もあり、とても興味深く読んでいただけたのではないでしょうか?
犬山城に限らず、他のお城のしゃちほこについても同じように調べてみると、意外な発見があるかもしれませんね。
この記事をきっかけに、お城のしゃちほこにも注目してみてください。
- 犬山市教育委員会
- 岡山市観光振興課
- 熊本城調査研究センター
- 高知県教育委員会
- 坂井市教育委員会
- 滋賀県文化スポーツ部文化財保護課
- 大法寺
- 高梁市教育委員会
- 姫路城管理事務所
- 弘前市教育委員会
- (公財)広島市文化財団広島城
- 松江市歴史まちづくり部
- 松本市教育委員会
- 松山市文化財課
- 松山城総合事務所
- 丸亀市教育部文化財保存活用課
- 和歌山市和歌山城整備企画課
- 国宝犬山城天守保存修理工事報告書(令和2年3月、犬山市教育委員会)
- 鯱瓦修復の歩み(平成30年3月17日、犬山市教育委員会)
- 日本の美術 第404号 城と天守(至文堂)
- 金箔瓦の系譜(平成23年3月25日、財団法人広島市文化財団広島城)
- 広島城出土の金箔鯱瓦についての考察(広島大学総合博物館研究報告書、2009)
- 「シャチホコ」から城を語る(令和元年10月19日、第36回熊本城学)
- 「復興 熊本城」Vol.2(平成30年12月19日、熊本市/熊本日日新聞社)
- 「復興 熊本城」Vol.3(令和元年年10月1日、熊本市/熊本日日新聞社)
- 重要文化財丸亀城大手一の門 二の門 附東西土塀修理工事報告書(昭和38年、丸亀市)
- 和漢三才図会7 東洋文庫(1987年7月10日、平凡社)
- 安土 信長の城と城下町(2009年10月17日、滋賀県教育委員会編、サンライズ出版)
- ふるさと和歌山(2020年3月1日、水島大二著、ニュース和歌山)
- 姫路城まるごとガイドブック(平成31年3月25日、芳賀一也著、集広舎)
- 「重要文化財松山城天守他六棟保存修理工事報告書」(平成19年、松山市編)
- 「犬山城白帝文庫研究紀要14」(2020年、犬山城白帝文庫)
- 「犬山市資料3」(1987年、犬山市)
- 「国宝犬山城天守修理工事報告書」(1965年、成瀬正勝)
- 「犬山城総合調査報告書」(2017年、犬山市教育委員会)