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廃城の危機!犬山城が経験した天災とは?-築城から現在までに襲いかかった地震、台風をまとめてダイジェストでご紹介します。

犬山城は築城されて480年ほど。

それから現在までに襲いかかった天災は数知れず。

記録に残っているものだけでもいくつもあります。

その中の地震、台風に絞ってご紹介したいと思います。

地震-犬山城を襲った天災1

日本は地震が多い地域ですので、1500年代から現在まで多くの地震に見舞われています。

その中でも犬山城に影響の大きかった地震をピックアップしてご紹介します。

天正地震

天正13年11月29日(1586年1月18日)に尾張国に襲った地震です。

被害地域は、日本海の若狭湾から太平洋の三河湾に及ぶ、歴史上例のない大地震だったと言われています。

尾張国ではこの地震により、

1)尾張国の中心地である清州城が液状化現象により壊滅的被害を受けた。

➡ 天正14年にこのとき尾張を治めていた織田信雄(織田信長の次男)が大改修を行ったと推定されている。

2)木曽川の流路が大幅に変わった。

➡ この地震によって、ほぼ現在の木曽川の流路になったと推測されている。

3)犬山城の被害の記録はない。

慶長地震

慶長地震は南海トラフ巨大地震の一つとされています。

1596年9月1日に起こった、今の愛媛県を震源とする慶長伊予地震(M7.0と推定)、

1596年9月4日に起こった、今の大分県を震源とする慶長豊後地震(M7.0~7.8と推定)、

1596年9月5日に起こった、今の大阪府・京都府を震源とする慶長伏見地震(M7.0~7.1と推定)、

1605年2月3日に起こった、南海トラフ大地震(M7.9~8.0と推定)。

現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来し、死者1〜2万人を数えたとされます。

これらの地震を合わせて ″慶長大地震″ と呼ばれています。

当時の尾張国・犬山城の被害記録はありません。

被害がなかったのか、被害はあったけど記録が残っていないだけなのかは不明です。

濃尾地震

▲ 東南隅の付櫓。濃尾地震で付櫓が崩壊した。現在の付櫓は昭和の大修理の際に復元されたもの。

1891年(明治24年)10月28日、濃尾地方で発生した日本史上最大の内陸地殻内地震です。

M8.0、死者7,273名、負傷者17,175名、全壊家屋は14万2177戸と推定されています。

犬山城はこの地震により、天守東南の付櫓が倒壊しました。

当時の所有者である愛知県は各地の復旧に追われて犬山城の修復に手が回らず廃城の意見も出されたが、修復と維持管理を条件に江戸時代に城主を務めた成瀬家に譲渡されました。

その後、平成16年まで国内唯一の個人所有の天守となったのです。

濃尾地震のあと倒壊した天守などは復元・修理されましたが、東南の付櫓は復元されませんでした。

台風-犬山城を襲った天災2

次に、犬山城を襲った天災の二つ目として台風を取り上げましょう。

記録に残っているのは伊勢湾台風です。

伊勢湾台風

▲ 甚大な被害を及ぼした伊勢湾台風。紀伊半島から東海地方、北陸富山を縦断した。

1959年(昭和34年)9月26日、昭和34年台風15号が和歌山県・潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心としてほぼ全国にわたって甚大な被害を及ぼしました。

伊勢湾沿岸の愛知県・三重県の被害が特に甚大であり、「伊勢湾台風」と呼ばれることとなりました。

和歌山県、奈良県、三重県、愛知県、岐阜県を中心に犠牲者5,098人(死者4,697人・行方不明者401人)・負傷者38,921人、全壊家屋36,135棟・半壊家屋113,052棟、流失家屋4,703棟、床上浸水157,858棟、船舶被害13,759隻。

犬山城も屋根瓦が飛ばされるなどの被害があったほか、大杉様と呼ばれている大木に落雷がありました。

大杉さまはこれが原因で枯れてしまったと言われています。

その後、昭和36~40年に昭和の大修理が行われ、石垣の積み直し、付櫓の復元など当時の姿となって甦りました。

まとめ

ここまでは、天災の中でも地震と台風についてみてきました。

そのいずれも犬山城に少なからず被害を及ぼしていたに違いありません。

しかし、それでも耐え、時が過ぎるのをじーっと待っているようにも見えます。

数々の天災を乗り越えて、今なお現存しているというのは改めて貴重だということが分かりましたね。

ということで、犬山城に襲いかかった天災(地震・台風)についてまとめてみました。

じゃあね👍

2019年04月28日
犬山城マイスター!たかまる。

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