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犬山城天守の構造徹底解説 -最古級の典型的な望楼型-

最古級の典型的な望楼型である犬山城天守の構造を徹底解説します。

犬山城天守に79回以上登り、独自の犬山城ツアーも企画・開催している犬山城マイスター!たかまる。が書き下ろしました。

これを読めば、お城めぐりを楽しんでいるベテランさんも、お城初心者さんも、「構造という視点で天守を見るといろいろなことが見えてくる!」ということが理解できます。

また、犬山城に行くときに見るべきポイントをしっかりとつかむことができます。

かなりマニアックで長文の解説記事ですが、犬山城めぐりの参考になること間違いなしです。

犬山城に行こうと思っている方、犬山城天守のことをくわしく知りたい方は、ぜひ最後までお読みください。

犬山城天守は望楼型(ぼうろうがた)

犬山城天守は典型的な望楼型天守

教科書のような形

犬山城天守
▲犬山城天守(画像:たかまる。)

犬山城の天守は、典型的な望楼型(ぼうろうがた)天守です。

二階建ての入母屋造(いりもやづくり)の上に望楼(ぼうろう)が乗った形をしています。

犬山城は…

犬山城天守は典型的な 望楼型(ぼうろうがた)

これ↓↓↓↓↓が望楼型(ぼうろうがた)です。

望楼型のイラストと犬山城天守の写真
▲一般的な望楼型のイラスト(左)と犬山城天守(右)。犬山城天守は、教科書に書かれるような典型的な望楼型をしている。(図、画像:たかまる。)

そして、望楼型の説明によく使われるのが左の図で、犬山城天守はお手本のような望楼型をしているのです。

そして、典型的であるがゆえによく真似られるのです。

犬山城は、よく真似られる

犬山城天守が典型的な望楼型天守だから、良く真似されるというお話です。

昭和以降に建てられた模擬天守(もぎてんしゅ)を見るとわかります

模擬天守 もぎてんしゅ

史実では天守があったかが不明であったり、天守があったとしてもどのような天守だったかはわからなかったりするところに、作られた天守のこと。
昭和の再建ブームの際に鉄筋コンクリートなどで建てられた天守で、資料館などになっているものです。

【お城の基礎知識】昭和の城再建ブーム

模擬天守の中から、犬山城によく似たものを紹介します。

  • 富山城 模擬天守(富山県)
  • 館山城 模擬天守(千葉県)
  • 清須城 模擬天守(愛知県)
  • 川之江城 模擬天守(愛媛県)

これらの模擬天守は、ほとんどが犬山城天守をモデルにしていると思われます。

お手本にするのは、犬山城天守が典型的な望楼型天守だからです。

天守の分類
望楼型天守と層塔型天守のイラスト
▲望楼型天守と層塔型天守のイラスト(図:たかまる。)

お城の天守は、その建て方・構造によって2種類に分類されます。

  • 望楼型(ぼうろうがた)
  • 層塔型(そうとうがた)

【望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)】

一階建てまたは二階建ての入母屋造(いりもやづくり)の上に望楼(ぼうろう)が乗った形です。
望楼型天守の例は、犬山城、姫路城、彦根城などです。

【層塔型天守(そうとうたがてんしゅ)】

一階から最上階まで同じ形の階を順番に積み上げていくような形です。
ほぼすべての階の形が同じで、上に行くにつれて小さくなっています(これを逓減(ていげん)と言います)。

層塔型天守は望楼型天守に比べて新型で、藤堂高虎が慶長9年(1604)に建てた今治城が最初といわれています。
層塔型天守の例は、名古屋城、会津若松城などです。

望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)と層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)については、コチラでも解説しています↓↓↓↓

【お城の基礎】望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)と層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)

格式高い外観

天守は城主の威厳を表すものであり、格式が重んじられてきました。

犬山城天守の格式高い外観について、

  • 真壁造(しんかべづくり)
  • 華頭窓(かとうまど)
  • 廻縁・高欄(まわりえん・こうらん)
  • 唐破風(からはふ)

という4つの視点で解説します。

真壁造(しんかべづくり)と軒裏(のきうら)

真壁造(しんかべづくり)
犬山城天守最上階の外観
▲犬山城天守最上階は柱や桁がむき出しになった真壁造(しんかべづくり)となっている。(画像:たかまる。)

犬山城天守の外壁の中でも、最上階が最も特徴的です。

他ではあまり見られない真壁造(しんかべづくり)という外壁です。

犬山城の外壁

犬山城天守・最上階の外壁は 真壁造(しんかべづくり) で特徴的

白木の柱や長押(なげし=柱から柱へ渡して壁に取り付ける横木)を見せる構造を真壁造(しんかべづくり)といいます。

お寺や神社の建物に多く使われている格式高い様式です。

それをお城の天守最上階に採用しているのは、格式を高めるのが目的です。

現存12天守では犬山城と丸岡城(福井県)のみです。

外観復元天守でも広島城(広島県)、福知山城(京都府)ぐらいです。

犬山城天守の外壁は白漆喰総塗籠、下見板張り、真壁造りの3種類あって多彩だ。

天守の外壁
名古屋城外観復元天守
▲名古屋城復元天守(画像:たかまる。)

内壁は真壁造が多いですが、外壁を真壁造(しんかべづくり)にすることはあまりありません。
なぜなら、柱などをむき出しにしていると雨風にさらされて朽ちてしまうからです。
そのため、天守では漆喰で塗り込む大壁造(おおかべづくり)が主流です。
白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)とも呼ばれます。
例としては名古屋城などです。

天守の外壁については、コチラでも解説しています↓↓↓↓

【お城の基礎】天守の外壁と意匠

屋根の軒裏(のきうら)
犬山城天守最上階の軒裏
▲犬山城天守最上階の軒裏(画像:たかまる。)

さらに、最上階の屋根の軒裏は白木のままになっています。

ここにはあまり目がいかないかもしれませんが大変珍しい造りで、現存12天守では丸岡城(福井県)と犬山城のみです。

そして、1階、2階の屋根の軒裏は白漆喰惣塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)になっているので、それと比較してみるのも面白いです。

犬山城天守の軒裏

犬山城天守の屋根の軒裏は、最上階は白木、1階・2階は白漆喰惣塗籠

神社仏閣では白木が主流となっていますが、天守で軒裏が白木なのは大変珍しいので一見の価値ありです。

華頭窓(かとうまど)

犬山城の華頭窓(かとうまど)
犬山城天守最上階の華頭窓
▲釣り鐘のような形の華頭窓。犬山城天守最上階の南北に4つついている。(画像:たかまる。)

華頭窓(かとうまど)は寺院などで良く用いられる窓で、格式の高い建築様式です。

犬山城天守の最上階には華頭窓が4つ、南面(正面)に二つ、北面(向正面)に二つあります。

東面や西面、下の階にはついていません。

犬山城の華頭窓

犬山城天守・最上階には 華頭窓(かとうまど)が4つ

南面に二つ、北面に二つ

華頭窓が最上階の正面にあるため、とてもよく目立ちます。

そして、表情を決めているといっても過言ではないほど印象的です。

窓枠だけ
犬山城天守の華頭窓
▲窓枠だけの華頭窓(画像:たかまる。)

華頭窓は「窓」ですが、犬山城の場合は窓枠だけとなっていて、窓としての機能(採光、眺望など)はありません。

犬山城の華頭窓

犬山城天守の華頭窓は 窓枠だけの飾り。格式を重んじた作り

窓枠だけだと残念がる人もいますが、天守の格式とシンボルとしての位置づけから考えれば窓枠があるだけで十分です。

特に犬山城の場合は南面、北面の中央に扉がつけられて廻縁(まわりえん)に出ることができるため、華頭窓に採光や眺望の機能を付ける必要はありません。

装飾として窓枠だけの華頭窓が付けられている寺院は全国にいくつもあります。

枠だけでも十分なぐらい、装飾性と格式が高いということの現れです。

ここも押さえておくべきポイントの一つです。

天守の窓については、コチラでも解説しています↓↓↓↓

【お城の基礎】天守の窓の種類

華頭窓の数

華頭窓は格式の高い窓なので、天守に好んでつけれられました。

松本城天守の乾小天守には2個と辰巳付櫓に2個、清須城模擬天守には8個、彦根城天守にはなんと18個もつけられています。

  • 犬山城天守:4
  • 松本城・乾小天守:2
  • 松本城・辰巳付櫓:2
  • 清洲城模擬天守:8
  • 彦根城天守:18

もちろん華頭窓のない天守もあり、名古屋城天守は0です。

どこにいくつ付けるかは、城主が天守をどのように見せたいかによってかわります。

窓が必要であれば実用的なのは格子窓(こうしまど)や連子窓(れんじまど)です。

しかし華頭窓にするのは、実用性以上に格式を重視している表れです。

多い、少ないで格が決まるわけではありませんが、格式を高めるために華頭窓が採用されているのは間違いありません。

華頭窓 かとうまど
彦根城に展示されている華頭窓の枠
▲彦根城に展示されている華頭窓の枠(画像:たかまる。)

華頭窓は、釣り鐘のような形をした窓のことです。
火灯窓、花頭窓、華頭窓、架灯窓、瓦灯窓など、いろいろな漢字が充てられます。
お寺や神社、城郭(天守・櫓など)などに格式の高い様式として用いられ、形に特徴があります。
上側を炎の形にしたり、花の形にしています。
炎の形を火炎形(火灯曲線)、花の形を花形(花頭曲線)と呼びます。

廻縁・高欄(まわりえん・こうらん)

廻縁(まわりえん)
犬山城天守の廻縁と高欄から見える景色
▲犬山城天守の廻縁と高欄。ぐるりと一周できるのは珍しい(画像:たかまる。)

犬山城天守の最上階の南北には扉があって、外に出て一周ぐるっと周ることができます

そこを廻縁(まわりえん)、手すりは高欄(こうらん)と言います。

天守には必ず廻縁があるイメージかもしれませんが、現存12天守の中で外に出て一周ぐるっと周れる廻縁があるのは、高知城と犬山城だけです。

犬山城天守を下から見上げたときに、最上階のところを来場者がぐるっと周っているのを見かけますが、実はとてもレアなことなのです。

廻縁は無垢の木で、床はわずかに外側に傾斜しています。

また廻縁に出ると、最上階の外壁=柱や桁がむき出しになった真壁造(しんかべづくり)や黒い腰壁の下見板張り(したみいたばり)華頭窓(かとうまど)を間近に見ることができます。

犬山城の廻縁

犬山城天守の最上階には、一周ぐるっと回ることができる 廻縁(まわりえん)と高欄(こうらん)がある

外に出られる廻縁は、高知城と犬山城だけ

廻縁は華頭窓と同じように寺院などで用いられる格式の高い様式で、装飾性がとても強いものです。

廻縁をつけることで、格式がとても高くなります。

彦根城や丸岡城などにも廻縁がつけられていますが、外に出られない形状のものです。

外に出られる廻縁のほうが格が高かったと考えられ、犬山城の天守最上階は最も格式高くつくられているのです。

犬山城の華頭窓、廻縁・高欄については、コチラでも解説しています↓↓↓↓

犬山城天守の特徴3選。華頭窓、唐破風、真壁造。

外に出られる廻縁と、出られない廻縁

天守の最上階につけられ、一周ぐるりと回っているのが縁側ですが、外に出られるものと出られないものがあります。

外に人が出られない天守 = 丸岡城、彦根城
外に人が出られる天守 = 高知城、犬山城

丸岡城天守に行くと、最上階に廻縁があります。
しかし、中から窓の外を見ることはできますが、廻縁に出ることはできません。
飾りの廻縁です。

一方で、犬山城天守の最上階には正面(南側)と裏面(北側)に出入口があり、廻縁に出ることができます。
これは飾りではなくて、出入りができる縁側、今でいうベランダなのです。

廻縁と高欄 まわりえんとこうらん

廻縁と高欄は寺院などで用いられる格式高い様式です。
装飾として映えますし、格が高まります。
そして、天守の最上階につけられることがほとんどです。
シンボルとしての天守の中でも、最も威厳のある最上階を格式高い様式にするためです。

高欄(こうらん)
犬山城天守最上階の高欄
▲犬山城天守最上階の高欄(画像:たかまる。)

高欄(こうらん)は廻縁にけられている手すりのことです。

廻縁があるところには必ず高欄があります。

外に出て一周ぐるりと歩くことができる廻縁は犬山城と高知城だけですが、高欄が必ずあります。

もしなかったら、危険すぎます。

犬山城の高欄は白木で、装飾などのないシンプルなものです。

高知城天守の高欄は擬宝珠(ぎぼし)が付けられていたり、松本城・月見櫓の高欄は朱色に塗られていたりします。

廻縁から桃瓦が見える
犬山城天守の桃瓦
▲犬山城天守の桃瓦(画像:たかまる。)

廻縁から下の屋根を見ると桃瓦(ももがわら)が見えるはずです。

南北の唐破風(からはふ)の屋根の端、東南隅と西北隅の付櫓(つけやぐら)の屋根の端にそれぞれ二つずつ、合計八つです。

犬山城の桃瓦

犬山城天守の屋根には 桃瓦(ももがわら)が8つ ある

廻縁から下の屋根を覗き込むと見える

これは廻縁でぐるりと回らないと見れないので、桃瓦も探してみてください。

犬山城の桃瓦についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

犬山城の桃瓦(ももがわら)

そして、廻縁から濃尾平野や木曽川の雄大な景色を楽しむことができます

この景色も犬山城天守の醍醐味の一つです。

ただ、高所恐怖症の人にはとても怖いところだと思いますので、見学の際は無理をせずに気を付けて周りましょう。

廻縁と高欄についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】廻縁(まわりえん)と高欄(こうらん)

唐破風(からはふ)

犬山城といえば唐破風(からはふ)
犬山城天守の唐破風
▲弓なりのところが唐破風(からはふ)。犬山城天守の表情を決めていると言っても過言ではない。(画像:たかまる。)

犬山城の特徴のひとつは唐破風(からはふ)です。

正面の中央にある弓なりの屋根の部分が唐破風です。

破風(はふ)は屋根の端っこの三角の部分を指しますが、唐破風は弓なりになっているのが特徴です。

そして、犬山城では華頭窓と一緒で、表情を決めていると言っても過言ではないぐらいの存在感を示しています。

犬山城の唐破風

犬山城天守の中央に 唐破風(からはふ) がある

弓なりの屋根が特徴

唐破風は、正面(南面)と裏面(北面)の中央に付けられています

出窓になっていて、採光と防御機能をあわせもっています。

そして、格式が高く装飾性の高い様式です。

天守はお城のシンボルで、城主の威厳や権力・財力を示すものです。

そのため、格式がとても重んじられていました。

ちなみに、唐破風の内部は「唐破風の間」という小部屋になっています。

犬山城天守のビジュアル的特徴についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

犬山城天守の特徴3選。華頭窓、唐破風、真壁造。

他の城では唐破風には目がいかない

唐破風は犬山城にしかないかというと、そんなことはありません。

他の城の天守にもありますが、あまり目がいかないだけです。

いくつか例を挙げましょう。

まずは、丸亀城(香川県丸亀市)です。

三重三階の現存天守で、均整のとれた層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)です。

丸亀城と言えば見事な高石垣で、コチラに目が行くために天守の唐破風はほとんど注目されません。

次はひこにゃんがいる彦根城(滋賀県彦根市)です。

現存天守で、国宝の彦根城天守には破風がたくさんついています。

入母屋破風(いりもやはふ)、切妻破風(きりつまはふ)、唐破風(からはふ)、千鳥破風(ちどりはふ)などで多彩に装飾されています。

種類も数も多いのが特徴です。

そのため、唐破風だけが注目されるということはありません。

このように、唐破風はついていてもあまり目がいかないものですが、犬山城の場合は非常に特徴的であり、目に留まりやすいのが特徴といえます。

破風 はふ
お城に使われる4種類の破風
▲お城に使われる4種類の破風(図:たかまる。)

破風(はふ)とは何か?
屋根の妻側、つまり屋根の端のことで、通常は三角形です。
破風を大別すると以下の2分類、4種です。
1.構造上、必ずある破風 = 入母屋破風(いりもやはふ)、切妻破風(きりつまはふ)
2.装飾・象徴的につけられる破風 = 千鳥破風(ちどりはふ)、唐破風(からはふ)

破風についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】天守にある4種類の破風(はふ)

破風(はふ)と懸魚(げぎょ)

ここからは、犬山城天守にある破風(はふ)と懸魚(げぎょ)についてです。

以下の4つがあります。

犬山城の破風と懸魚
  • 最上重の屋根
    入母屋破風(いりもやはふ)+猪目懸魚(いのめげぎょ)+木連格子(きつれこうし、狐格子、きつねこうしともいう)
  • 東西の大屋根
    大入母屋破風(いりもやはふ)+梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)
  • 南北の中央
    唐破風(からはふ)+兎の毛通し(うのけどおし)(蟇股はない)
  • 東南付櫓、西北付櫓
    切妻破風(きりつまはふ)+梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)

※犬山城天守に千鳥破風(ちどりはふ)、三花蕪懸魚(みつばなかぶらげぎょ)、蟇股(かえるまた)はありません。

破風と懸魚 はふとげぎょ

破風(はふ)は屋根の端っこの三角の部分のことです。
懸魚(げぎょ)は破風の上端(ここを拝みという)の下につく装飾のことです。
懸魚は魚をかたどって懸けられた火除けのまじないでもあります。
城に使われるのは主に、梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)、蕪懸魚(かぶらげぎょ)、三花蕪懸魚(みつばなかぶらげぎょ)の3種類で、唐破風につけられるものは兎毛通(うのけどおし)と呼ばれます。

懸魚についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】懸魚(げぎょ)と蟇股(かえるまた)

最上重の屋根

入母屋破風(いりもやはふ)+猪目懸魚(いのめげぎょ)+木連格子(きつれこうし、狐格子ともいう)、いずれも渋墨塗り
犬山城天守最上階の破風と懸魚
▲最上重は入母屋破風+猪目懸魚(画像:たかまる。)

犬山城の最上重の屋根は、

  • 破風:入母屋破風(いりもやはふ)
  • 懸魚:猪目懸魚(いのめげぎょ)
  • 妻壁:木連格子(きつれこうし)

となっています。

犬山城の最上重の屋根
  • 破風:入母屋破風(いりもやはふ)
  • 懸魚:猪目懸魚(いのめげぎょ)
  • 妻壁:木連格子(きつれこうし)

屋根が入母屋屋根(いりもややね)なので、破風は入母屋破風(いりもやはふ)です。

破風板は黒色の渋墨(しぶすみ)塗りで、白漆喰(しろしっくい)塗りではありません。

渋墨はすすと墨を柿渋を混ぜたもので、木の劣化を抑える防腐効果があります。

懸魚は、猪目懸魚(いのめげぎょ)です。

妻壁(つまかべ)も白漆喰塗りではなく、渋墨塗りの木連格子です。

木連格子は縦横が等間隔で組まれた格子で、神社仏閣で用いられています。

最上重の破風や妻壁が白漆喰塗りか渋墨塗りかで印象が大きく異なります。

犬山城も渋墨塗りではなく白漆喰塗りだったら違った印象になっていたことでしょう。

最上重は、天守の中でもっともシンボリックな部分ですので、意匠性に富んでいるのがよくわかります。

破風についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】天守にある4種類の破風(はふ)

東西の大屋根

大入母屋破風(いりもやはふ)+梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)
犬山城天守二重目の破風と懸魚
▲大屋根(二重目)は入母屋破風と梅鉢懸魚(画像:たかまる。)

犬山城の東西の屋根は、

  • 破風:入母屋破風(いりもやはふ)
  • 懸魚:梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)
  • 妻壁:連子窓(れんじまど)

となっています。

犬山城の東西の屋根
  • 破風:入母屋破風(いりもやはふ)
  • 懸魚:梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)
  • 妻壁:連子窓(れんじまど)

犬山城の1階、2階部分は入母屋造(いりもやづくり)となっていて、この上に3階、4階部分の望楼(ぼうろう)が載っています。

この入母屋造の東西面に破風があります。

入母屋屋根なので入母屋破風(いりもやはふ)、懸魚はシンプルな梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)で、白漆喰塗籠となっています。

妻壁は、採光のために連子窓(れんじまど)になっており、2枚の突き上げ戸がついています。

犬山城天守で最も大きな破風であり、東西面はシンプルな造りなので存在感があります。

最上重とは趣がまるで違うので見比べてみてください。

懸魚についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】懸魚(げぎょ)と蟇股(かえるまた)

南北の中央

唐破風(からはふ)+兎の毛通し(うのけどおし)
犬山城天守の唐破風と兎毛通し
▲南北中央は唐破風と兎毛通し(画像:たかまる。)

犬山城の南北中央には、

  • 破風:唐破風(からはふ)
  • 懸魚:兎の毛通し(うのけどおし)
  • 妻壁:連子窓(れんじまど)

となっています。

犬山城の南北中央
  • 破風:唐破風(からはふ)
  • 懸魚:兎の毛通し(うのけどおし)
  • 妻壁:連子窓(れんじまど)

犬山城天守の南北、つまり正面と裏側にはほぼ中央に唐破風(からはふ)がつけられています。

ここは入母屋造の屋根裏で、内部の3階にあたる部分です。

出窓になっていて、その屋根が唐破風です。

ここが三角の千鳥破風(ちどりはふ)だったら、これまた印象がかなり違ったことでしょう。

唐破風の懸魚は兎の毛通し(うのけどおし)と呼ばれる独特のもので、犬山城天守の唐破風にも兎の毛通しがつけられています。

この破風板は白漆喰塗籠となっています。

最上重とは異なる意匠で、天守の表情にメリハリがつけられています。

また、妻壁は東西の入母屋破風と同じように、採光のために連子窓となっていて、2枚の突き上げ戸がつけられています。

東南付櫓と西北付櫓

切妻破風(きりつまはふ)+梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)
犬山城天守の付櫓の破風と懸魚
▲付櫓は切妻破風と梅鉢懸魚(画像:たかまる。)

犬山城の東南付櫓(とうなんつけやぐら)、西北付櫓(せいほくつけやぐら)は切妻造(きりつまづくり)のため、

  • 破風:切妻破風(きりつまはふ)
  • 懸魚:梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)
  • 妻壁:装飾なし

となっています。

犬山城の付櫓
  • 破風:切妻破風(きりつまはふ)
  • 懸魚:梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)
  • 妻壁:装飾なし

犬山城天守には東南隅と西北隅に付櫓が2基つけられ、いずれも平櫓(ひらやぐら)=1階建ての切妻造です。

そのため、破風は切妻破風(きりつまはふ)となっており、その懸魚はシンプルな梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)で、白漆喰塗籠です。

妻壁に装飾はありません。

東南付櫓、西北付櫓ともに同じ仕様です。

付櫓 つけやぐら

天守本体に付けられた櫓のことを付櫓(つけやぐら)と言いますが、現存12天守の中で付櫓が2基つけられているのは犬山城天守だけで、とても珍しい形となっています。

犬山城の付櫓についてはこちらの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

犬山城天守の『付櫓(つけやぐら)』は、東南隅と西北隅に二つもあって実は珍しいのだ!

3種類の外壁

犬山城天守を見上げる画
▲1階は下見板張り、2階は白漆喰惣塗籠(画像:たかまる。)
犬山城天守最上階の外観
▲最上階は柱や長押(なげし)がむき出しになった真壁造(しんかべづくり)(画像:たかまる。)

犬山城天守の外壁は白漆喰総塗籠、下見板張り、真壁造りの3種類あって多彩です。

一重目は白壁の半分下が黒い板になっている「下見板張り」(したみいたばり)、二重目が白壁の「白漆喰総塗籠」(しろしっくいそうぬりごめ)、最上重が柱などがむき出しになっている「真壁造」(しんかべづくり)となっています。

犬山城の外壁
  • 一重目
    上半分は白漆喰塗籠+下半分は黒い板の「下見板張り」(したみいたばり)
  • 二重目
    白壁の「白漆喰総塗籠」(しろしっくいそうぬりごめ)
  • 最上重
    柱などがむき出しの「真壁造」(しんかべづくり)+「下見板張り」

動画でサクッと解説していますので、まずはこちらをどうぞ。

一重目の外壁

上半分は白漆喰塗籠、下半分は黒い板の「下見板張り」(したみいたばり)
犬山城天守1階部分のアップ
▲1階は白壁の下3分の2ほどが黒い板の下見板張り(画像:たかまる。)

下見板張りは、土壁の外側に板を横方向に張りながら少しずつ上に重ねていったものです。

犬山城の一重目の外壁

上半分は白漆喰塗籠、下半分は黒い板の「下見板張り」(したみいたばり)

板には、煤(すす)と柿渋(かきしぶ)を混ぜて作った渋墨(しぶすみ)を塗ってあるため、黒くて武骨な外観になります。

墨は防腐剤としての役割で、耐久性を上げるためです。

犬山城天守では、一重目と最上重に使われています。

二重目の外壁

白壁の「白漆喰総塗籠」(しろしっくいそうぬりごめ)
犬山城天守の2階部分アップ
▲2階部分は何も装飾のない白漆喰総塗籠(画像:たかまる。)

白漆喰総塗籠は、土壁の表面を白漆喰(しろしっくい)で仕上げたものです。

白く優美な外観となり、城主の権威を示すにはふさわしい仕上げです。

犬山城の二重目外壁

白壁の「白漆喰総塗籠」(しろしっくいそうぬりごめ)

下見板張りよりも遅れて使われ出した(織田信長や豊臣秀吉の城は黒くて、徳川の城は白いという説)と言われていますが、時代的な差はほとんど見られないをいうことがわかっています。

見映えはよいですが耐久性はあまりなく、漆喰が水分を吸収するために20年ぐらいで剥がれ落ちてしまったり、長雨にさらされると簡単に剥がれ落ちたりします。

犬山城天守では、二重目が白漆喰で仕上げた外壁になっています。

最上階の外壁

柱などがむき出しの「真壁造」(しんかべづくり)+「下見板張り」
犬山城天守最上階の外観
▲最上階は柱や長押(なげし)がむき出しになった真壁造(しんかべづくり)(画像:たかまる。)

天守の外壁は柱を見せない構造の大壁造(おおかべづくり)が基本ですが、犬山城天守の最上重は白木の柱や長押(なげし=柱から柱へ渡して壁に取り付ける横木)を見せる構造であり、これを真壁造(しんかべづくり)といいます。

犬山城の最上重の外壁

柱などがむき出しの「真壁造」(しんかべづくり)+「下見板張り」

お寺や神社の建物で使われており、格式を高める目的で天守の最上階に使われました。

しかし、現存天守では犬山城と丸岡城だけにしかありません。

また、外観復元天守でも福知山城と広島城ぐらいしかないとても珍しい造りです。

なぜなら、柱などが外に出ていると雨風で劣化しやすいからです。

耐久性が劣る真壁造よりも、耐久性の高い大壁造が主流なのはこのためです。

しかし、犬山城は格式高い様式とするためにあえて真壁造にしています。

現存天守の外壁

他の現存天守の外壁は?
松本城天守は下見板張りです。
他には、丸岡城、松山城、丸亀城、備中松山城、彦根城でも下見板張りが採用されています。
松江城は1階、2階がすべて板張りになっています。
白漆喰総塗籠は姫路城、弘前城、宇和島城、高知城です。
真壁造は丸岡城と犬山城だけです。

天守の外壁についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】天守の外壁と意匠

三重四階地下二階(さんじゅうよんかいちかにかい)

国宝指定書に書かれている

犬山城天守の国宝指定書
▲国宝指定書に「三重四階地下二階付本瓦葺」と書いてある(画像:たかまる。)

犬山城天守が何階建てかご存知ですか?

答えは『三重四階地下二階建て』です。

犬山城天守は…

三重四階地下二階建て

国宝指定書に書かれています。

「三重四階地下二階」の意味

『三重四階地下二階建て』ってどういうことでしょうか?

答えは、外の屋根の数が「三重」、内部の階数が「四階」、石垣内部の階数が「地下二階」ということを表しています。

三重四階とは?

犬山城天守の外部の屋根の数
▲外の屋根の数は「三重」(図:たかまる。)
犬山城天守内部の階数
▲内部の階数は「4階」(図:たかまる。)

天守の階数は「〇重〇階」という表現をします。

「〇重」とは外の屋根の数、「〇階」とは内部の階数のことです。

重と階

お城の天守や櫓などは、〇重〇階という表現をします。

「〇重」とは外の屋根の数、「〇階」とは内部の階数のことです。

重と階についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】天守の重と階

それぞれ表すのは屋根の数と内部の階数が異なることがあるからです。

犬山城天守は外が三重で内部は四階の建物なので「三重四階」と表します。

※弓なりの屋根=唐破風(からはふ)の部分は建物の構造上の屋根ではなく飾りのため、ここは屋根の数としては数えません。

屋根の数と内部の階数が異なるのは、望楼型の特徴

犬山城天守二階の屋根裏
▲二階の屋根は高い(画像:たかまる。)
犬山城天守の3階
▲三階の天井は低い(画像:たかまる。)

犬山城天守の屋根の数と内部の階数が異なるのは、望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)の特徴です。

望楼型天守についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)と層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)

望楼型天守は一般的に、二重目の屋根の裏側に三階ができます。

犬山城天守も二重目の入母屋造り(いりもやづくり)の屋根が大きく、その屋根裏に三階を設けています。

二階は天井が高いのに対して、三階は天井が低くなっています。

地下2階とは?

犬山城天守の地下
▲地下1階は踊り場になっている(画像:たかまる。)

地下とは石垣の内部のことを言います。

逆に地上は建物のことです。

現代では地中が「地下」という認識ですが、天守では石垣部分が地下となります。

そして、地下二階というのは石垣内部が二階建てになっているということです。

現存12天守の階数
犬山城望楼型三重四階地下二階
姫路城望楼型五重六階地下一階
松本城層塔型五重六階
高知城望楼型四重六階
彦根城望楼型三重三階地下一階
弘前城層塔型三重三階
丸岡城望楼型二重三階
松江城望楼型四重五階地階一階
丸亀城層塔型三重三階
宇和島城層塔型三重三階
備中松山城層塔型二重二階
松山城層塔型三重三階地下一階

現存12天守についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】現存十二天守と国宝五城

天守の重と階についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】天守の重と階

複合式天守(ふくごうしきてんしゅ)

犬山城天守は複合式天守

犬山城天守の付櫓
▲天守に付櫓がついた複合式天守(画像:たかまる。)

犬山城の天守は、本体に付櫓(つけやぐら)が付いた「複合式天守(ふくごうしきてんしゅ)」です。

犬山城天守は…

本体に付櫓(つけやぐら)が付いた「複合式天守(ふくごうしきてんしゅ)」

そして、犬山城天守はとってもシンプルな複合式天守です。

複合式天守 ふくごうしきてんしゅ
複合式天守のイメージ図
▲複合式天守のイメージ図(図:たかまる。)

現存12天守の中で複合式は、
・彦根城天守
・松江城天守
・備中松山城天守
があります。

天守の分類
4つの天守の形式イメージ図
▲天守の4つの形式イメージ図(図:たかまる。)

天守は形によって4つに分類されます。

  • 複合式 (ふくごうしき):天守に付櫓(つけやぐら)がついたもの
  • 連結式 (れんけつしき):大天守と小天守を渡櫓または橋台でつないだもの
  • 連立式 (れんりつしき):天守と二基以上の小天守や隅櫓を渡櫓で連結して、天守曲輪を構成したもの
  • 独立式 (どくりつしき):天守だけが単独で建っているもの

天守の四つの形式についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】天守の四つの形式 / 複合式、連結式、連立式、独立式

付櫓が二つある

犬山城天守西からの画
▲付櫓が二つ付いた犬山城天守(画像:たかまる。)

犬山城天守には特筆すべきことがあります。

それは、付櫓が二つあるということです。

犬山城天守には…

付櫓(つけやぐら)が二つある

東南隅と西北隅の二つ、上の画像の赤いところが付櫓です。

付櫓についてはこの後でくわしく解説します。

付櫓は防御施設

犬山城天守東南付櫓からの攻撃の画
▲犬山城天守の付櫓の役割は、敵兵への迎撃(画像:たかまる。)
犬山城天守東南付櫓からの攻撃の画
▲出入口(穴蔵)へ侵入してくる敵兵に横矢を掛ける(画像:たかまる。)
犬山城天守東南付櫓からの攻撃の画
▲前方、側面の両方への攻撃が可能(画像:たかまる。)

犬山城天守の付櫓は出入り口としては使われておらず、敵を迎撃するための防御施設して配置されています。

天守への出入りは、石垣の穴蔵(あなぐら=石垣に穴が開いたような部分)からです。

一般的には、付櫓は出入り口として使われていましたが、犬山城天守の付櫓は役割が違うということになります。

実際、彦根城や備中松山城では付櫓は出入り口として使われています。

備中松山城天守
▲備中松山城天守の付櫓は出入り口(画像提供:岡山県観光連盟)

断面図と平面図

犬山城天守がどんな建物なのかを見るには、断面図や平面図が最適です。

断面図や平面図は、犬山市が発行している資料や犬山城のウェブサイトに掲載されていますが、あまりきれいに見れないので、犬山市の資料を基に筆者が作図しました。

注意
  • この図は実測図ではありません。予めご了承ください。
  • ブログや SNS などに掲載する場合などは「作図:犬山城マイスター!たかまる。」とクレジットを入れてください。
  • 印刷して個人で楽しむのは構いませんが、配布や転載はご遠慮ください。

断面図

犬山城天守断面図
▲犬山城天守断面図(図:たかまる。、図説犬山城を基に作図)

東側からの断面図は、屋根の数(重)と内部の階数(階)が異なることがよく分かります。

重と階についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】天守の重と階

平面図

犬山城天守平面図。地下二階。地下一階
▲犬山城天守平面図。地下二階。地下一階(図:たかまる。、図説犬山城を基に作図)
犬山城天守平面図。一階。二階
▲犬山城天守平面図。一階。二階(図:たかまる。、図説犬山城を基に作図)
犬山城天守平面図。三階。四階
▲犬山城天守平面図。三階。四階(図:たかまる。、図説犬山城を基に作図)

各階については次に解説してあります。

犬山城天守の内部構造

1階

1階は形がいびつで入り組んでいる

犬山城天守一階平面図
▲犬山城天守一階平面図(図:たかまる。)

犬山城天守の1階は不等辺四角形で、東南隅と西北隅にそれぞれ付櫓を持つ珍しい形です。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

1階の特徴として挙げられるのは、

犬山城天守の一階
  • 形状が不等辺四角形
  • 南東隅に付櫓
  • 西北隅にも付櫓
  • 付櫓が二つ付く現存天守は犬山城だけ
  • 中央部は「第一の間」、「第二の間」、「納戸の間」、「上段の間」の四室がある
  • 鴨居と敷居が各所にある

などです。

形状が不等辺四角形
犬山城天守_鉄門からの画
▲ 本丸鉄門(くろがねもん)から見ると付櫓が存在感をしめしている。(画像:たかまる。)

平面図を見るとわかるように、北より南東(図の右下)に向かって広がった形状をしています。

さらにその先には付櫓があります。

これは、本丸の入り口である鉄門(くろがねもん)からの見栄えを考慮したと考えられます。

威圧的になり、大きく見せるという効果があります。

南東隅に付櫓
犬山城天守東南付櫓_西からの画
▲東南付櫓(画像:たかまる。)

本丸の鉄門(くろがねもん)をくぐってすぐ目の前に付櫓がドンと現れます。

犬山城天守の付櫓は敵を迎撃するための防御施設です。

いわゆる「横矢」(よこや)を掛けるために出張らせているのです。

西北隅にも付櫓
犬山城天守西北付櫓_南からの画
▲西北付櫓(画像:たかまる。)

1階の階段からぐるりと反対方向にいくと、少しだけ出張った間取りがあります。

そこが西北付櫓です。

現在は「石落しの間」という表示がされています。

付櫓が二つ付く現存天守は犬山城だけ
犬山城天守_西からの画
▲犬山城天守には付櫓が二つある(画像:たかまる。)

犬山城天守には付櫓が二つ、東南付櫓と西北付櫓があります。

このように付櫓が二つ付くのは、現存天守では犬山城だけです。

付櫓についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

犬山城天守の『付櫓(つけやぐら)』は、東南隅と西北隅に二つもあって実は珍しいのだ!

中央部に四室ある
犬山城天守1階内部の画
▲1階中央には四室ある(画像:たかまる。)

中央部には「第一の間」、「第二の間」、「納戸の間」、「上段の間」の四室あります。

上段の間は文化年間(1804~1818)に改造されたものと推定されています。

鴨居と敷居がある
犬山城天守1階内部の画
▲1階には鴨居と敷居がある(画像:たかまる。)

あまり気にしていない人が多いですが、1階には鴨居と敷居があるのも特徴です。

御殿と同じように、畳敷きにして襖(ふすま)で部屋を仕切っていた可能性もあります。

具体的にどのようにしていたかは不明ですが、板戸やふすまで閉じられていたら敵が侵入してきたときにどちらへ向かえばよいのか、どこに城兵が潜んでいたのかわからずに混乱することは間違いないでしょう。

上段の間(じょうだんのま)

犬山城天守一階平面図、上段の間
▲ピンク色の部分が上段の間(図:たかまる。)
犬山城天守1階上段の間・書院造
▲ 正面には床と床脇棚、右手には帳台構えも備えられている。いわゆる書院造(画像:たかまる。)
犬山城天守1階上段の間
▲上段の間全体。天守内でも一段と格式が上がっている場所(画像:たかまる。)
犬山城天守1階上段の間の竿縁天井
▲天井は竿縁天井(画像:たかまる。)
犬山城天守1階上段の間・床脇棚
▲床脇棚は天袋と棚が備えられている(画像:たかまる。)

犬山城天守・1階には「上段の間」という畳敷きの部屋があります。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

「上段の間」は天守一階の中央にあります(平面図のピンク色の部分)。

広さは12畳、床は一段、七寸ほど(約21cm)高くなっており、畳敷きです。

上段の間は室内に床、棚などが設けられています。

天井は竿縁天井(さおぶちてんじょう)です。

現地案内板では猿頬天井(さるほおてんじょう)とされています。

床(とこ、いわゆる床の間)や床脇棚などが備えられ、いわゆる書院造(しょいんづくり)です。

床は本床と呼ばれる最も一般的なものです。

床脇棚には天袋と棚が備えられています。

上段の間(じょうだんのま)
  • 広さ12畳、七寸(約21cm)高い、畳敷き
  • 御殿などに見られるのと同じ書院造(しょいんづくり)
  • 文化年間(1804~1818)に改築された

この上段の間は一見すると創建当時からあるように思われ、昭和62年に犬山市が発行した「犬山市資料 第三集」には「創建当時の城主の居間」と記されています。

しかし、昭和36年~40年に実施した「昭和の大修理」での調査によって、文化年間(1804~1818年)に改築されたものと推定されました。

その証拠に、床の裏側を見てみると、武者走りに不自然に飛び出た部分があります。

ここが床と棚の部分になります。

つまり部屋の広さは変えずに床の間を設けている、改築しているということです。

また、上段の間の北側は「納戸の間」(武者隠し、帳台の間とも呼ばれる)があり、帳台構えになっています。

まさに書院造を天守に備えてしまったという、大変珍しい部屋です。

※犬山市資料第三集は残念ながら市販されておらず、在庫もありません。犬山城のことがたっぷりと詰まった本なので持っていて損はないと思います。古本屋さんで見つけたらぜひゲットしてください!

納戸の間(なんどのま)=武者隠しの間(むしゃかくしのま)

犬山城天守一階平面図、納戸の間
▲ピンク色の部分が納戸の間(図:たかまる。)
犬山城天守1階納戸の間
▲納戸の間は上段の間の奥に配置されている(画像:たかまる。)

犬山城天守・1階には「納戸の間」という部屋があります。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

「納戸の間」は1階の中央北西側にあり、南には「上段の間」(じょうだんのま)、東には「第二の間」(だいにのま)、南東には「第一の間」(だいいちのま)があります。

広さは約8畳です。

納戸の間は、通常は物置部屋として使われていたと思われます

一方で、城主がいた上段の真が南側にあって扉で閉められていることから、「武者隠しの間」(むしゃかくしのま)とも呼ばれています。

つまり城主が「上段の間」にいる際、城主に何かあるといけないので「納戸の間」に城兵が潜んでいたと言われる武者隠し(むしゃかくし)です。

武者隠しの間(むしゃかくしのま)
  • 広さ8畳
  • 武者隠しの間(むしゃかくしのま)と呼ばれる
  • 帳台の間(ちょうだいのま)とも呼ばれる
  • 納戸の間(なんどのま)とも呼ばれる

「納戸の間」の東側、北側、西側は壁になっており、出入りは南側の「上段の間」だけになっています。

「上段の間」や「納戸の間」には現在は立ち入ることはできませんが、訪れた際には上段の間の奥にある納戸の間にも注目してみてください。

さらに、「納戸の間」は「帳台の間」(ちょうだいのま)とも呼ばれます

この帳台とは帳台構え(ちょうだいがまえ)のことで、書院造における設備のひとつです。

襖絵ではなく板戸ですが、敷居が畳より一段高く、鴨居は長押よりも一段低くなっています。

これは、書院造の基本に沿った造りです。

上段の間 じょうだんのま

書院造の「上段の間」には、正面に床(とこ、いわゆる床の間)と床脇棚が並びます。
広縁の側に付書院(つけしょいん)、そしてその反対側に帳台構えを設けるのが通例です。
帳台構えは敷居(しきい)を畳より一段上げて、鴨居(かもい)を長押(なげし)より一段低くしたところに4枚の襖絵が入っています。
中央の二枚は左右に開きますが、外側の二枚ははめ殺しです。

第二の間(だいにのま)

犬山城天守一階平面図、第二の間
▲ピンク色の部分が第二の間(図:たかまる。)
犬山城天守1階第二の間全体
▲第二の間には犬山城の模型が展示されている(画像:たかまる。)
犬山城天守1階第二の間
▲第二の間の奥は板戸(画像:たかまる。)

犬山城天守・1階には「第二の間」という薄暗い部屋があります。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

「第二の間」は犬山城天守一階の中央にあり、東北に位置しています。

西側には「納戸の間」(なんどのま)、南側には「第一の間」(だいいちのま)があります。

広さは約10畳です。

第二の間(だいにのま)
  • 広さ10畳
  • 襖や板戸で仕切られていた空間

敵が侵入してきたときに方向を見失うように、襖などで仕切られていたと考えられます

「第二の間」は「第一の間」と同じように城兵が潜んでいて、敵が侵入してきた時に返り討ちにしたことでしょう。

現在は木製の犬山城天守模型(可児市の伊佐治さんが制作)が展示されています。

かなり大きな模型なので、写真を撮っていかれる方が多いです。

第一の間(だいいちのま)

犬山城天守一階平面図、第一の間
▲ピンク色の部分が第一の間(図:たかまる。)
犬山城天守1階第一の間全体
▲第一の間の左手には上段の間。奥には第二の間(画像:たかまる。)

犬山城天守・1階には「第一の間」という小さな小さな部屋があります。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

第一の間は一階中央の東南側にあります。

石垣に囲まれた地下階から階段を登って一階にあがり、後ろを振り返ったところです。

中央の四つの小部屋で最も小さく、広さは約6畳です。

「第一の間」は何に使われていたのかよくわかっていません。

第一の間(だいいちのま)
  • 広さ6畳
  • 犬山城天守1階で最も小さな部屋

1階は細かく部屋を仕切っているため、敵が侵入してきたときの攪乱のための一つの部屋と考えられます。

敵が侵入してきた場合には、この「第一の間」にも兵士が潜んでいて、敵が侵入してきたところで返り討ちにしたことでしょう。

また第一の間は「上段の間」のすぐ横の部屋であるというのも重要なポイントです。

城主が上段の前にいる場合は第一の間に城兵が潜んで城主を守っていたとも考えられます。

武者走り(むしゃばしり)

犬山城天守一階平面図、武者走り
▲一階の周りにある幅二間の武者走り(図:たかまる。)
犬山城天守1階武者走り
▲武者走りは2間幅(約3.6m)(画像:たかまる。)
犬山城天守1階内部の画
▲武者走りには鴨居と敷居がある(画像:たかまる。)

犬山城天守の内部には武者走り(むしゃばしり)があります。

武者走りとは、各階の外壁の内側に作られた通路のことです。

武者走り(むしゃばしり)
  • 幅二間(約3.6m)の通路
  • 敷居がある

幅は約二間(約3.6m)で、外壁には格子窓が開けられています。

つまり武士が行き来するだけでなく、外の敵に対して格子窓から迎撃する場所でもあるのです。

敷居があり、襖(ふすま)を入れれば細かい部屋に仕切ることができます

東南付櫓(とうなんつけやぐら)

犬山城天守一階平面図、東南付櫓
▲ピンク色の部分が東南付櫓(図:たかまる。)
犬山城天守・東南付櫓
▲東南付櫓は存在感がある。反り屋根なのがよくわかる(画像:たかまる。)
犬山城天守・東南付櫓内部
▲東南付櫓の内部(画像:たかまる。)
犬山城天守・東南付櫓内部の天井
▲東南付櫓の天井は高く、反り屋根(画像:たかまる。)

犬山城天守の特徴の一つとして付櫓(つけやぐら)があります。

正面から見て右側の手前に張り出した部分です。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

東南付櫓(とうなんつけやぐら)は平面図のピンク色の部分です。

南北二間、東西二間で斜めに張り出しています

屋根は切妻造(きりつまづくり)の本瓦葺(ほんかわらぶき)で、反り屋根です。

切妻破風(きりつまはふ)には梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)がついています。

また、屋根瓦の留蓋(とめぶた)には桃瓦が二つ、東南隅と西南隅に載っています。

壁は白漆喰に下見板張りで、軒裏は白漆喰塗籠です。

内部は床は一段低くなっており、天井は化粧屋根裏です。

内部から見て正面(南)、左手(東)、右手(西)にそれぞれ格子窓を設けています。

東南付櫓(とうなんつけやぐら)
  • 天守正面の右手前に張り出した部分
  • 迎撃のための防御施設

東南付櫓は、天守内部から見ると左側の前に張り出しています。

本丸に攻め込んできた敵を迎撃するために張り出して、死角をなくすことが目的です。

内部から見て左手(東側)は崖になっていますが、ここは本丸の搦手(からめて)=裏口で、七曲門(ななまがりもん)、七曲道(ななまがりみち)があります。

また、天守正面の穴蔵に向かって侵入してくる敵に対しては、内部から見て右手(西側)の格子窓より迎撃します。

このように、東南付櫓は戦に備えた施設としての役割がとても大きかったことがわかります。

また、本丸の正面出入り口である鉄門(くろがねもん)から見て東南付櫓が大きく張り出したように見えるため、視覚的な効果も狙っていたと考えられます。

ちなみに、この付櫓は明治24年(1891)10月28日に起きた濃尾地震(のうびじしん)によって倒壊し、その後は付櫓がない状態が70年ほど続いていましたが、昭和の大修理(昭和36~40年)のときに復元されました。

付櫓についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

犬山城天守の『付櫓(つけやぐら)』は、東南隅と西北隅に二つもあって実は珍しいのだ!

西北付櫓(せいほくつけやぐら)=石落しの間(いしおとしのま)

犬山城天守一階平面図、西北付櫓
▲ピンク色の部分が西北付櫓(図:たかまる。)
犬山城天守・西北付櫓
▲西北付櫓は小ぶりだが、石落しが付けられている(画像:たかまる。)
犬山城天守・西北付櫓内部
▲二間×一間の小さな付櫓の内部(画像:たかまる。)

犬山城天守の付櫓はもうひとつあります。

正面から見て左側の奥、左(西)に張り出した部分です。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

南北二間、東西一間で西側へ張り出しています。

広さは東南付櫓(とうなんつけやぐら)の半分です。

東南付櫓と同様に屋根は切妻造(きりつまづくり)で、反り屋根で本瓦葺(ほんかわらぶき)です。

切妻破風(きりつまはふ)、梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)も東南付櫓と同じ仕様です。

壁や軒裏も同じで、壁は白漆喰に下見板張り、軒裏は白漆喰の塗籠です。

西北付櫓は天守正面から見て左手奥にあって立ち入り禁止になっているため、あまり知られていません。

西北付櫓(せいほくつけやぐら)
  • 天守正面の左手奥にあり、西側へ張り出した部分
  • 迎撃のための防御施設
  • 美濃への備え

この西北隅の付櫓には石落としがついています。

袴腰型(はかまこしがた)と呼ばれるもので、袴のような形をしています。

また、屋根には桃瓦が西北隅と西南隅の2か所に載っています

屋根瓦の留蓋(とめぶた)です。

基本的な仕様は東南付櫓と同じで、サイズが半分と考えればよいです。

異なる点としては、石落とし(=足駄狭間(あしださま))が付いているというところです。

石落としについては、こちらに面白い記事がありますのでぜひ一緒にご覧ください↓↓↓↓↓

犬山城天守・「石落としの間」の真実

西北付櫓はそれほど張り出している感じはせず、出窓のようです。

内部から見て左手(南)、正面(西)にそれぞれ格子窓があります。

西北付櫓の役割は、本丸に攻め込んできた敵を迎撃するためで、死角をなくすことです。

天守の西北隅ということは北側を流れる木曽川に面しています。

木曽川の向こう側は美濃国(みののくに)であり、犬山城は国境の城です。

美濃の国からの攻めに備え、防御を厚くするために付櫓を設けたと考えるのが妥当です。

しかし一方で、木曽川を渡って攻めあがってくるのは至難の業です。

今よりも水面が低い川だったことは間違いありませんが、川を渡ってこようとしても犬山城からは敵の動きが丸見えです。

そのため、実際には防御が万全だということを見せることによって、川を渡ることへの抑止力とすることができるのです。

石落としがダミーの飾りでも抑止力としては十分です。

MEMO

著者がなぜそのように考えるかというと、一つは石落としがダミーだということですが、もう一つは本当に防御施設として機能させようとしたら北側(内部から見て右側)にも格子窓を設けてもよさそうなものなのを、設けていないという点からです。

このように天守に付櫓が2基あるのは現存天守では犬山城だけです。

付櫓についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

犬山城天守の『付櫓(つけやぐら)』は、東南隅と西北隅に二つもあって実は珍しいのだ!

鴨居(かもい)と敷居(しきい)

犬山城天守一階平面図、鴨居と敷居
▲鴨居と敷居で仕切られる(図:たかまる。)
犬山城天守1階の鴨居と敷居
▲犬山城天守1階の鴨居と敷居(画像:たかまる。)
犬山城天守1階の敷居
▲犬山城天守1階の敷居(画像:たかまる。)

犬山城天守1階には鴨居(かもい)と敷居(しきい)が6箇所あります。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

鴨居と敷居は武者走りに6箇所あります。

二階、三階、四階には敷居と鴨居はありません

鴨居と敷居(かもいとしきい)
  • 武者走りに6箇所
  • 襖や板戸を入れて部屋を仕切っていた可能性

ではそもそも敷居と鴨居は何のためにあるのか?ですが、日本建築において敷居と鴨居はふすまや障子などの建具を立て込めるためのものです。

ということは、ふすまや板戸を入れて部屋を仕切っていたと考えられます

御殿のように小部屋をいくつも作ることのなごりでしょう。

また、敷居があるところは当初は畳敷きになっていた可能性があり、一階は畳敷きだったのかもしれません

格子窓(こうしまど)の謎

犬山城天守1階の格子窓
▲縦連子窓と横連子窓(画像:たかまる。)
犬山城天守1階の格子窓
▲明かりがよく入る(画像:たかまる。)
犬山城天守1階の格子窓
▲西北付櫓の連子窓。外の敵を迎撃する(画像:たかまる。)

犬山城天守には格子窓(こうしまど)がついています。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

格子窓は全部で19か所(地下1階に1ヶ、1階に14ヶ、3階に4ヶ)ありますが、その中で謎の格子窓が一つだけあります。

それは1階東側の南から二つ目の窓です。

地下から階段を上がって1階に出て左に折れたところの右手です。

格子窓(こうしまど)の謎
  • 19か所の格子窓のうち、18か所が縦連子窓(たてれんじまど)
  • 1か所だけ横連子窓(よこれんじまど)
  • 何故なのかはわからない。謎となっている

この窓のどこが謎かと言うと、他の格子窓は縦連子窓(たてれんじまど)になっているのに対し、この窓だけ横連子窓(よこれんじまど)になっているのです。

連子窓 れんじまど

連子窓(れんじまど)は、日本建築、寺社建築などに用いられる窓のこと。
窓枠の内側に、断面がひし形又は方形の棒状の材(連子=れんじ)を並べた窓のことを言います。

何故この窓だけ横連子なのか?については詳細な資料などは残っておらず、建築当初からこのようになっていたのか?もしくはいつかどこかのタイミングで改築されたのか? まったく謎です。

弓矢や鉄砲を広い角度で打つために横になったとも考えられますが、縦連子窓でも格子がひし形になっているため、広い範囲に攻撃できる工夫がされています。

そのため、わざわざ横にする必要はあまり感じられません。

しかも、どうしてこの一箇所だけなのか? 全く理由がわかりません

こうした謎がたくさんあるのも犬山城天守の魅力の一つですね。

2階

2階は広々として屋根が高い

犬山城天守二階平面図
▲犬山城天守二階平面図(図:たかまる。)
犬山城天守2階内部
▲2階内部の様子(画像:たかまる。)

犬山城天守の2階は屋根がとにかく高いです。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

広さは東西九間、南北八間です。

1階が不等辺四角形なのに対し、2階は四角形になっています。

つまり、1階の構造上の歪みが2階で解消されています。

中央には「武具の間」(ぶぐのま)があり、周囲は「武者走り」(むしゃばしり)です。

「武具の間」には東面、西面、北面に武具棚を設けています。

武者走りに鴨居と敷居はありません。

犬山城天守の2階
  • 中央に武具の間(ぶぐのま)、その周りに武者走り(むしゃばしり)
  • 屋根がとにかく高い

3階へと続く階段がありますが、かなり長い階段です。

二階建ての入母屋造(いりもやづくり)の屋根が大きいためです。

たとえばお寺の本堂の中は屋根が高いと思いますが、それも同じことです。

これは望楼型(ぼうろうがた)天守の特徴の一つでもあります。

望楼型天守についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)と層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)

武具の間(ぶぐのま)

犬山城天守二階平面図、武具の間
▲二階中央の武具の間(図:たかまる。)
犬山城天守2階武具の間
▲武具の間の周囲には武具棚(画像:たかまる。)
犬山城天守2階武具の間
▲武具棚の前に構造模型が展示されている(画像:たかまる。)

犬山城天守の二階に上がると、中央に「武具の間」(ぶぐのま)という部屋があります。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

広さは東西四間半(約8.1 m)、南北四間(約7.3 m)です。

部屋は広いスペースで、真ん中に柱があります。

武具の間の東、西、北の壁側に武具棚が設けられており、文字通り武具を保管するための棚です。

棚は2段です。

武具の間(ぶぐのま)
  • 防具、武器の保管スペース
  • 武具棚は延宝3年(1657)に設置された

武具棚は、昭和の大修理の解体で墨書が発見され、延宝3年(1675)に取り付けられたことが分かっています。

「武具の間」は武具の保管スペースで、部屋の内側からも外側からも武具が取り出せるようになっています。

武具の間にある木製の構造模型は、昭和の修理の時につくられたものです。

犬山城天守の構造を知る手掛かりとなりますが、一部破損しているのが残念です。

武者走り(むしゃばしり)

犬山城天守二階平面図、武者走り
▲二階の周りにある幅二間の武者走り(図:たかまる。)
犬山城天守2階武者走り
▲2階の武者走りには敷居はない(画像:たかまる。)

2階にも武者走り(むしゃばしり)があります。

武者走りとは、各階の外壁の内側に作られた通路のことです。

幅は約二間(約3.6m)で、外壁には窓が開けられています。

窓には格子がなく、突き上げ戸になっています。

鴨居と敷居はなく、ひと続きのぐるりと回る通路です。

3階

3階は狭く、薄暗い屋根裏

犬山城天守三階平面図
▲犬山城天守三階平面図(図:たかまる。)
犬山城天守3階
▲3階の天井は低く、狭い屋根裏(画像:たかまる。)

犬山城天守・3階には「唐破風の間」(からはふのま)「入母屋破風の間」(いりもやはふのま)があります。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

3階は東西三間、南北四間の四角い部屋です。

そこに「唐破風の間」(からはふのま)と「入母屋破風の間」(いりもやはふのま)があります。

3階は入母屋屋根(いりもややね)の直下につくられており、望楼(ぼうろう)の下部にあたります

外から見ると天守正面や北側の唐破風の部分、東西の入母屋破風(いりもやはふ)の部分です。

犬山城天守の3階
  • 天井が狭くて薄暗い
  • 入母屋造り(二重目)の屋根裏
  • 唐破風の間(からはふのま)、入母屋破風の間(いりもやはふのま)がある

3階は窓がなく真っ暗なため、「唐破風の間」と「入母屋破風の間」に窓をつけて明り取りとしています。

また敵が侵入してきたときには、ここから迎撃することもできました。

しかし唐破風は関ヶ原の戦い以降に増築されたと考えられているため、実際に戦で使用したことはありません。

入母屋破風の間(いりもやはふのま)

犬山城天守三階平面図、入母屋破風の間
▲三階の東西にある入母屋破風の間(図:たかまる。)
犬山城天守3階入母屋破風の間
▲3階入母屋破風の間。三角の屋根がわかる(画像:たかまる。)

3階に上がったすぐ右手と4階へ上がる階段の脇に、一段下がった小部屋があります。

方角的には東と西で、これが入母屋破風の間(いりもやはふのま)です。

入母屋破風の間は入母屋破風の裏側にあたり、この入母屋破風(いりもやはふ)は2階の入母屋造にできている破風です。

入母屋破風の間(いりもやはふのま)
  • 3階の東西2か所にある
  • 入母屋破風の裏側に設けられた部屋
  • 屋根が大きな三角(入母屋屋根)
  • 採光、敵への備え

犬山城天守を東西から見ると真ん中に大きな三角の屋根部分が見えますが、ここが入母屋破風で、裏側が「入母屋破風の間」ということです。

「入母屋破風の間」は一般的に「武者隠しの間」とも呼ばれる、兵士が潜んでいる場所でもあり、外にいる敵兵に対して「入母屋破風の間」の格子窓から弓矢や鉄砲などで迎撃します。

残念ながら現在は立ち入り禁止ですが、覗き込むことはできます。

上を見ると三角の屋根裏が見えます。

ここは3階ですが、この屋根裏は二重目の屋根なのです。

二重目の屋根を感じることができるのが、「入母屋破風の間」の特徴です。

唐破風の間(からはふのま)

犬山城天守三階平面図、唐破風の間
▲三階の南北にある唐破風の間(図:たかまる。)
犬山城天守3階唐破風の間
▲3階唐破風の間。唐破風の特徴である弓なりの屋根がわかる(画像:たかまる。)

3階に上がった正面と反対側に小さな部屋があります。

ここが「唐破風の間(からはふのま)」です。

天守の南北には唐破風(からはふ)が取り付けられていて、3階に接続しています。

その唐破風の裏側の小部屋が「唐破風の間」です。

唐破風の間(からはふのま)
  • 3階の南北2か所にある
  • 唐破風の裏側に設けられた部屋
  • 屋根が弓なり
  • 採光、敵への備え

「唐破風の間」は小さいため、兵士をたくさん詰めておくことはできませんが、むしろ少数の兵士を潜ませておき、何かあった際にはそこから飛び出て敵兵を打ったことでしょう。

また、唐破風には格子窓が付けられており、外への迎撃や抑止力としての役割もあります。

破風の役割 はふ

一つは意匠です。
天守の格式や装飾のために千鳥破風(ちどりはふ)や唐破風(からはふ)が付けられました。
もう一つは出窓としての役割です。
天守内部からの死角を少なくする効果があります。
また破風があることによって天守内の攻撃箇所が増えるため、敵兵からしたら攻撃の恐れがあるポイントが増え、それだけで抑止力になりました。

犬山城の唐破風には装飾という役割と、出窓という役割の二つがあります。

そして、最大の役割は採光=明り取りです。

3階は元々は入母屋屋根の部分なので、全くと言っていいほど光が入りません。

そのため南面と北面の唐破風に窓をつけることによって、明かりを取りました。

現在でも唐破風や入母屋破風の格子窓を開けて明かりをとっています。

また天井に目を向けると唐破風の弓なりになっているのがわかります

唐破風の形状が最もよくわかる場所です。

4階

高欄の間(こうらんのま)

犬山城天守四階平面図
▲犬山城天守四階平面図(図:たかまる。)
犬山城天守4階
▲高欄の間には赤いじゅうたんが敷かれている(画像:たかまる。)
犬山城天守4階天井
▲高欄の間は竿縁天井(画像:たかまる。)

犬山城天守・4階には赤いじゅうたんと廻縁があります。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

四階は犬山城天守の最上階であり、望楼(ぼうろう)部分にあたります。

望楼についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】望楼型天守(ぼうろうがたてんしゅ)と層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)

東西三間、南北四間の四角い部屋で、「高欄の間」(こうらんのま)と呼ばれています。

部屋には赤い絨毯(じゅうたん)が敷き詰められています。

4階の南北に出入り口が2箇所あり、外に出て360 度ぐるりと一周することができます。

犬山城天守の4階
  • 高欄の間(こうらんのま)と呼ばれる
  • 赤いじゅうたん敷き
  • 南北の出入口より廻縁(まわりえん=ベランダ)に出られる

ここを廻縁(まわりえん)、手すりを高欄(こうらん)と呼びます。

廻縁は幅90cm、高さ75cmほどで、床は外側に若干傾斜しています。

一周ぐるりと回ることができる廻縁のある現存天守は、高知城と犬山城だけでとても貴重なものです。

廻縁と高欄についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】廻縁(まわりえん)と高欄(こうらん)

出入り口の両サイドには華頭窓(かとうまど)がありますが、内側は壁が塗り込められており、装飾のための窓となっています。

華頭窓についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

犬山城天守の特徴3選。華頭窓、唐破風、真壁造。

4階の外壁は梁や桁がむき出しになった真壁造り(しんかべづくり)、下側は下見板張り(したみいたばり)になっています。

軒裏は白木のままになっていて、天守としては大変珍しい造りです。

赤いじゅうたんの秘密

犬山城天守四階平面図、高欄の間
▲四階は高欄の間と呼ばれる(図:たかまる。)
犬山城天守4階
▲高欄の間には赤いじゅうたんが敷かれている(画像:たかまる。)

4階の「高覧の間」は赤いじゅうたん敷きです。

昭和36年から40年に行われた「昭和の大修理」で銅の鋲(びょう)と、壁際に鋲がうたれた跡が見つかりました。

その銅の鋲に、じゅうたんの繊維が付着していました。

このことから、以前にじゅうたんが敷かれていたということがわかったのです。

これを再現・復元して、現在は赤いじゅうたん敷きになっています。

赤いじゅうたんの秘密
  • 江戸時代から赤いじゅうたん敷きだった

江戸時代にじゅうたんを入手するのは困難だったことでしょう。

二十二代城主(成瀬家七代目)の成瀬正寿(なるせまさずみ)は、ヨハンネス・ウィルヘルミユスというオランダ名を持っているため、そのころが有力と言われていますが、時期の特定には至っていません。

犬山城天守のベランダ=廻縁・高欄(まわりえん・こうらん)

犬山城天守四階平面図、廻縁・高欄
▲ぐるりと一周できる廻縁・高欄(図:たかまる。)
犬山城天守4階の廻縁・高欄
▲雄大な景色が望める(画像:たかまる。)
犬山城天守4階の廻縁・高欄。下見板張り
▲下見板張り(画像:たかまる。)
犬山城天守4階の廻縁・高欄。真壁造
▲柱や長押がむき出しの真壁造(画像:たかまる。)
犬山城天守最上階の軒裏
▲軒裏は珍しい白木(画像:たかまる。)

最上階には正面(南側)と裏面(北側)に出入口があり、そこから外に出て一周周ることができます

そこを廻縁(まわりえん)、手すりを高欄(こうらん)と言います。

廻縁の幅は約90cm、高欄の高さは約75㎝です。

外に出て一周周れるのは、現存12天守の中では犬山城と高知城だけです。

外に出られない廻縁の例としては、丸岡城天守があります。

なぜ最上階に廻縁と高欄がついているのでしょうか?

それは天守の上の階に行けば行くほど、格式を重んじる様式にしているからです。

つまり、最上階に廻縁と高欄をつけることによって天守の格式を高めているのです。

廻縁と高欄
  • 外に出られる廻縁
  • 廻縁の幅は約90㎝
  • 高欄は高さ約75㎝
  • ぐるりと周れる廻縁は、現存12天守では高知城と犬山城だけ

外に出られる廻縁はとても格の高い様式だったのです。

ただ、テレビでよく見かけるようなお殿様が廻縁に出て領地を眺めるということは、頻繁に行われていたとは思えません。

とは言っても、時代が下って現代となった今は廻縁と高欄に誰でも入れることができます。

高所が苦手な人にはとても怖いところだとは思いますが。

天守のサイズ感も分かりるし、濃尾平野や木曽川の雄大な景色を楽しめることでしょう。

廻縁と高欄は、無垢の木を使用していて、若干ですが床は外側に傾斜していて滑りやすいので注意してください。

また廻縁に出ると、最上階の外壁を間近に見ることができます。

壁の方に目をやると、柱や桁がむき出しになった真壁造(しんかべづくり)で、腰から下は黒い腰壁の下見板張り(したみいたばり)になっています。

さらに、南側と北側には出入り口と華頭窓(かとうまど)が付けられています。

華頭窓についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

犬山城天守の特徴3選。華頭窓、唐破風、真壁造。

さらに廻縁をぐるりと回ったときに、下の屋根を見ると桃瓦が見えるはずです。

南北の唐破風(からはふ)の屋根の端、東南隅と西北隅の付櫓(つけやぐら)の屋根の端にそれぞれ二つずつ、合計八つ載っています

これは廻縁でぐるりと回らないと見れない景色かもしれません。

桃瓦についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

犬山城の桃瓦(ももがわら)

廻縁・高欄についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】廻縁(まわりえん)と高欄(こうらん)

地下

地下1階

犬山城天守地下一階平面図
▲穴蔵構造の地下一階(図:たかまる。)
犬山城天守地下一階内部・梁と階段
▲太い梁と天守へ上がる階段がある(画像:たかまる。)
犬山城天守地下一階内部・梁と石垣
▲地下一階は石垣に囲まれた踊り場(画像:たかまる。)
犬山城天守地下一階内部・梁
▲天守を支える太い梁は手斧(ちょうな)と呼ばれる鉋(かんな)が発達する以前の道具で削られた(画像:たかまる。)

犬山城天守・地下1階は石垣の中です。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

地下と言うと地中と思いがちですが、お城の地下とは石垣の中のことを言います。

特に犬山城の場合は、地表面から石垣の中を通って天守へと上がる「穴蔵」(あなぐら)という構造になっています。

つまり天守への出入り口になっていて、実はこれはとても珍しい構造です。

地下2階より階段であがると地下1階です。

上がった目の前には太い梁があり、穴蔵を渡すように架けられています。

犬山城天守の地下1階
  • 地下は石垣内部
  • 穴蔵構造で天守への出入口
  • 大きな梁がある

梁の表面は手斧(ちょうな)という道具で削られています

鉋(かんな)が発達する以前の道具です

そして三方を石垣が囲み、その右側(東側)に1階へのあがる階段があります。

南側には明かり取りの格子窓が設けられています。

この窓は敵が侵入してきたときの迎撃の狭間(さま)としても使われます。

なお、階段は長年の来場者の上り下りですり減っていたので、平成30年度(2018年度)に補修されました。

地下2階

犬山城天守地下二階平面図
▲穴蔵構造で天守への出入口(図:たかまる。)
犬山城天守地下2階の扉
▲この扉の向こうが地下2階(画像:たかまる。)
犬山城天守地下2階内部
▲ 石垣と柱に囲まれた小さな空間。右手の階段で地下一階へ上がる(画像:たかまる。)
犬山城天守地下2階の階段
▲上へと昇る階段(画像:たかまる。)

犬山城天守には地下2階もあります。

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

天守には靴を脱いで上がりますが、階段を上るところが地下2階です。

犬山城の天守台は「穴蔵」(あなぐら)と呼ばれます。

地下に穴を掘って、物を蓄えるところを穴蔵と言いますが、城郭用語では穴蔵は天守台に開けられた部分のことを言います。

犬山城の天守台は下図のように複雑な形状で、矢印の部分が穴蔵です。

ここから天守に出入りするようになっています。

犬山城天守の地下2階
  • 地下は石垣内部
  • 穴蔵構造で天守への出入口
  • 扉が付けられている

安土城なども同じような穴蔵構造の天守台です。

穴蔵を持つ天守は珍しく、しかも地下2階建てになっているのは現存天守では犬山城だけです。

天守台(てんしゅだい)=穴蔵(あなぐら)

犬山城天守台・穴蔵構造
▲天守台はいびつな形をした穴蔵構造(図:たかまる。)

犬山城の天守台は自然石をそのまま使った野面積み(のづらづみ)と言われます。

傾斜のある積み方で矩形(くけい=すべての角が直角の四角形)ではなく歪(いびつ)な形をしています。

犬山城の天守台
  • 天守台の石垣は野面積み(のづらづみ)
  • いびつな形
  • 東面の幅約24m、北面の幅約22m、高さ約6m

天守台は正面が東南方向(=たつみ。巽、辰巳とも書く)を向いています。

石垣は一部に穴をあけたような部分=穴蔵(あなぐら)となっており、そこから天守に出入りする構造です。

天守台の大きさは東面の幅が約 24 m、北面の幅が約 22 m、高さは高いところで 6 mほどです。

穴蔵 あなぐら

天守台などの石垣に横穴または竪穴を造ってできた地階のこと。
備蓄倉庫として使われることもあるが、出入口としていることもある。
床は土や石畳でおおわれた土間となっている。

石垣は野面積み(のづらづみ)、打込接乱積み(うちこみはぎらんづみ)

犬山城の天守台石垣・東側
▲石垣の石はチャート(画像:たかまる。)
犬山城の天守台石垣
▲野面積み、打込み接ぎ乱積みの石垣(画像:たかまる。)

犬山城天守の石垣は野面積み(のづらづみ)と言われます。

野面積みとは自然石をそのまま使った石垣のことで、積み方自体のことではありません。

石垣の積み方には布積(ぬのづみ)と乱積み(らんづみ)の2種類があり、犬山城の天守台は、野面の乱積み、または打込接ぎ(うちこみはぎ)の乱積みです。

ただし現在の石垣は一度積み直されています。

天守台の石垣
  • 石はチャート
  • 自然石をそのまま使った野面の乱積み、または打ち込み接ぎの乱積み
  • 昭和の大修理で積みなおされた

石垣の隅部は、まだ発展途上の頃の算木積み(さんぎづみ)です。

石垣の石の加工や積み方の種類についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎知識】石垣の構造

【お城の基礎知識】石垣・積石の加工による分類

【お城の基礎知識】石垣・石の積み方による分類

犬山城の石垣に使われている石は、チャートと呼ばれる石です。

放散虫などの殻や骨片が海底に堆積してできた岩石で、大変固い石です。

濃尾平野は山が少なく、石垣に使える石がほとんど取れませんでしたが、犬山台地や各務原台地にはチャートが多くみられます。

犬山城の天守台の石は、近隣のチャートを利用したものです。

石垣の石の種類についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎知識】お城の石垣に使われる石の種類【花崗岩、安山岩、流紋岩、チャートなど】

犬山城天守のビジュアル的みどころ3選

犬山城天守最上階の華頭窓
▲ 釣り鐘のような形の華頭窓。犬山城天守最上階の南北に4つついている。(画像:たかまる。)
犬山城天守の唐破風
▲弓なりのところが唐破風(からはふ)。犬山城天守の表情を決めていると言っても過言ではない。(画像:たかまる。)
犬山城天守最上階の外観
▲犬山城天守最上階は柱や長押(なげし)がむき出しになった真壁造(しんかべづくり)(画像:たかまる。)

最後に、犬山城天守の見どころを3つご紹介します。

犬山城天守のみどころ3選
  • 天守の外観=ビジュアルを楽しむ
  • 古い様式=ビンテージ感を楽しむ
  • 雄大な景色を楽しむ

概要を動画で解説しています↓↓↓↓↓

こちらもあわせてご覧ください。

犬山城天守のビジュアル的みどころ3選
  • 華頭窓(かとうまど)=釣り鐘のような形の窓
  • 唐破風(からはふ)=真ん中の弓なりの屋根
  • 真壁造(しんかべづくり)=最上階の外壁

犬山城天守のビジュアル的3つの見どころ、まずは華頭窓(かとうまど)です。

華頭窓は格式の高い様式で、形も特徴的ですし、犬山城天守のビジュアルを決めていると言っても過言ではないですね。

次は、唐破風(からはふ)です。

正面中央にある弓なりの屋根のところですね。

一番最初に目に飛び込んでくる感じのやつ。

最後は真壁造り(しんかべづくり)です。

真壁造りとは、外側から柱などの木材をみえるようにした壁のこと。

天守最上階の壁をぜひ見てください。

真壁造と双璧をなすのが、柱などを壁で覆って外側から見えなくする構造の大壁造(おおかべづくり)で、一般的に天守は大壁造です。

だけど、格式を高めるために犬山城は最上階を真壁造にしています。

詳しくは、こちらの記事を参考にしてください。

犬山城天守の特徴3選。華頭窓、唐破風、真壁造。

また、初めて犬山城に行くなら押さえておきたいポイントもあります。

これについては下記の記事を参考にどうぞ。

犬山城に初めて行くときに見るべき3つのポイント!ビジュアル、ビンテージ・歴史深さ、廻縁と景色が見どころ

これで犬山城を存分に楽しむことができると思いますよ。

まとめ

いかがだったでしょうか?

犬山城天守の構造を徹底解説しました。

最初に解説したように、犬山城天守は最古級の典型的な初期望楼型天守です。

これを紐解いていったわけですが、これが頭に入っていると実際に犬山城に行ったときに見るポイントがわかると思います。

一つ一つ確認しながら登ってみるのも楽しいと思います。

あなたの犬山城巡りの参考になれば幸いです。

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