小牧・長久手の戦いののち、落ち着きを取り戻した尾張。
犬山城も安泰かと思いきや、またしても城主が交代することに。
九代目城主になったのは、信雄の家臣である土方雄久(ひじかたかつひさ)でした。
土方雄久
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦い。
織田信雄が羽柴秀吉と通じていたとして家老を殺害します。
それが宣戦布告となり、大規模戦争へと発展したわけですが、その家老・岡田重孝を殺害したのが、今回の主役の土方雄久。
信雄の信頼が厚かったのか、武田清利に替わり、信雄より尾張国犬山に4万5,000石の所領を与えられました。

それが天正15年(1587)7月。
その後、信雄が改易となって伊勢と尾張を去る天正18年(1590)7月までの約3年間、犬山城を守っていました。
土方雄久という男は尾張の出身で、初めは織田信長に仕え、その後、信長の次男・信雄に仕えました。
そのときに犬山を与えられたわけです。
その後は秀吉、秀頼、徳川家康、秀忠と仕えました。
犬山での記録はほとんどありませんが、確かにいたんですね。
●城主データ●
土方雄久
十代目城主
在位 約11年:天正15年(1587年)~天正18年(1590年)
犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。
まとめ
地元尾張を長く治めていた織田が去ることになり、次からは秀吉が尾張と犬山を牛耳っていきます。
ということで、織田に長い間攻めて守られた、犬山城でした。
じゃあね🖐️
2019年04月19日
犬山城マイスター!たかまる。