犬山城って天守しかないって思ってませんか?
実は、かつては犬山城の門だった「内田門」が近くのお寺に移築されているんです。
ということは、犬山城は天守だけじゃなくて門も見ることができるということですね。
しかも近いから、犬山城に行ったらセットで訪れたいスポットですよ!
犬山城移築門・内田門(うちだもん)-犬山城すぐ近くの瑞泉寺にあるのだよ!
まずは、移築されていた門をご覧ください。
では、この門はどこに移築されているのかというと、瑞泉寺というお寺です。
このお寺は、犬山城の東側にある名鉄犬山遊園駅からあるいて5分ほどのところにあります。
電車で犬山城に訪れる方は、犬山遊園駅で下車して足を延ばして寄って行かれるのが良いでしょう。
帰りに犬山遊園駅で乗車される前に行かれるのも良いかもしれませんね。
内田門は薬医門という形式の門です。
門の形式としては、薬医門(やくいもん)です。
脇戸付薬医門というのが正解でしょうか。
両脇に脇壁が付き、縦連子窓(たてれんじまど)があいています。
中央の大扉は両開きになっていて、だいたい訪れるときは開いています。
左の脇壁には片開きの脇戸があります。
背側から見ると薬医門であることがよくわかります。
薬医門というのは、鏡柱と控柱、冠木を大きな屋根でおおった様式の門のこと。
- 鏡柱(かがみばしら:左右で歌舞伎を支える柱)
- 控柱(ひかえばしら:鏡柱を後ろで支える柱)
- 冠木(かぶき:左右の柱の上部を貫く横木)
門扉が雨に濡れないように、少し前方にずらして載せられるのが特徴のようです。
格式の高い場所に置かれることが多かったそうですね。
そして、屋根は切妻屋根(きりつまやね)となっています。
犬山城・内田門は搦め手門だった。
内田門はどういった門だったのでしょうか?
犬山城城郭の「搦め手門」(からめてもん)が内田門でした。
搦め手門というのは、正門=大手門に対して裏門のことを言います。
つまり、正門=大手門、裏門=搦め手門ということです。
ちなみに搦め手(からめて)というのは裏口のことを指す言葉です。
内田門跡の現況は?
内田門跡の現況は、明治以降の開発によって遺構はほとんど残っていないと思われます。
古地図と照らし合わせると、おそらくこの辺り。
右手には名鉄犬山ホテル、左手には郷瀬川です。
行っても遺構らしきものはなんもないけど、一応行って見るのもいいかもね。
内田門についてはコチラにも少し書いているので、あわせて読んでもらうと内田門についてよりわかると思います。
内田門については、コチラをどうぞ↓↓↓
それと、犬山城の門については、コチラの記事でまとめています。
ご参考にどうぞ。
まとめ
内田門は犬山城の搦手であり、近くの瑞泉寺に移築されていました。
近いので、犬山城に行ったらセットで行って見ておきたいですね。
ということで、移築された門である内田門についての解説でした。
じゃあね👍
2019年02月17日
犬山城マイスター!たかまる。