徳川家康の小姓として仕えていた成瀬正成(まさなり)が、尾張藩主となった徳川義直の傅役として仕えます。
そして尾張藩付家老となり、二代将軍秀忠から犬山城を拝領して城主となりました。
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成瀬正成が尾張藩付家老に!そして十六代犬山城主の誕生!
成瀬正成は、永禄10年(1567)成瀬正一の長男として三河国に生まれました。
幼名は小吉。
幼少の頃より徳川家康に小姓として仕え、天正12年(1584)小牧・長久手の戦いが初陣で首級を挙げたと言われています。
慶長12年(1607)従五位下隼人正に叙任されました。
慶長15年頃、徳川義直の傅役となり、慶長17年から竹腰正信と共に尾張藩政に携わるようになりました。
元和3年(1617)、徳川2代将軍徳川秀忠から犬山城を拝領しました。
この頃の知行は2万石でしたが、元和5年頃に1万石の加増を受け、3万石となりました。
こうして、犬山城主になり、犬山、尾張名古屋、江戸を行き来する多忙な日々を過ごしました。
●城主データ●
成瀬正成
十六代目城主(成瀬家初代城主)
在位 約8年:元和3年(1617年)~寛永2年(1625)
犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。
まとめ
家康の小姓だった成瀬正成が、犬山城を二代将軍秀忠から拝領したというのが興味深いですね。
ということで、このあと成瀬家がずーっと守り続けた、犬山城でした。
じゃあね🖐️
2019年04月29日
犬山城マイスター!たかまる。