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【第十七代・犬山城主】成瀬正虎(なるせまさとら)。カッコいい名前の正虎のとき犬山祭の基礎ができたとか。

成瀬家初代城主の成瀬正成の長男として、2代将軍秀忠の小姓となり、その後尾張藩の藩政に携わった男。

成瀬正虎(まさとら)!

カッコいい名前です。

犬山祭りの基礎を作ったんだとか。

十七代目犬山城主・成瀬正虎。カッコいい名前の正虎のとき犬山祭の基礎ができたとか。

成瀬正成の長男として、文禄3年(1594)に駿府に生まれた成瀬正虎。

ご隠居さまによる駿府政権に父・正成が奔走しているときですね。

慶長13年(1608)には徳川秀忠の小姓組になり4千石を賜ったとか。

弱冠14歳で。

慶長19年(1614)、20年(1615)の大阪の陣では、尾張藩主・徳川義直につき、夏の陣では軍功を上げたとか。

元和3年(1617)に千石加増され、尾張藩の藩政に携わるようになりました。

▲ 唐破風は正虎のときにつけられたらしい。

寛永2年(1625)、成瀬家初代城主・正成が死去すると家督を相続し、成瀬家二代城主(通算十七代城主)となります。

さらに、従五位下隼人正(じゅごいげはやとのしょう)に叙任されました。

正虎の時代に犬山城天守が増築。

唐破風が付けられたとか。

また、犬山祭りの基礎が作られたと言われています。

●城主データ●

成瀬正虎

十七代目城主(成瀬家二代城主)

在位 約34年:寛永5年(1625)~万治2年(1659)

犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。

まとめ

戦国の世から平和な江戸時代に移り行く中で、新世代として活躍した男かもしれませんね。

ということで、成瀬家を盤石なものにした正虎が城主だった、犬山城でした。

じゃあね🖐️

2019年04月30日
犬山城マイスター!たかまる。

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