成瀬家も八代目になり、時代も江戸後期。
今後の家臣育成が欠かせない風潮だったのか、犬山城にも学校が創設されました。
それを創ったのが二十三代犬山城主・成瀬正住(まさずみ)です。
成瀬正住(なるせまさずみ)の生い立ち
成瀬正住(まさずみ)は、文化9年(1812)成瀬正寿(まさなが)の長男として名古屋で生まれました。
文政11年(1828)より政務に携わり、従五位下主殿頭に叙任されました。
文政13年(1830)には雑用として2千俵を賜りました。
天保9年(1838)に正寿の死去により家督を継ぎ、隼人正に任じられました。
家臣育成の学校・敬道館を創設
▲ 正住は家臣教育に力を注いだという。
しかし、翌天保10年(1839)から天保14年(1843)までの約4年間、病気療養と家政改革を理由に尾張藩政から身を引いていました。
その間の天保11年(1840)には犬山に家臣教育のための学校をつくり、敬道館と名付けました。
現在のからくり展示館の辺りです。
そんな正住は、安政4年(1857)に名古屋で死去しました。
第二十三代・犬山城主のデータ
成瀬正住(なるせまさずみ)
二十三代目城主(成瀬家八代城主)
在位 約19年:天保9年(1838)~安政4年(1857)
犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。
まとめ
ということで、家臣育成に力を入れ、そのための学校・敬道館を創設した二十三代犬山城主・正住をご紹介しました。
じゃあね🖐️
2019年05月08日
犬山城マイスター!たかまる。