犬山城の三の丸といってピンときますか?
たぶん、あんまりこないでしょう。
ならば解説しましょう!
これであなたも“犬山城”通ですね。
犬山城・三の丸(さんのまる)
犬山城の城郭内でもっとも大きな曲輪が三の丸です。
大手門が出入り口です。
裏口は内田門です。
位置としては、本丸から一番離れた南側です。
場所についてはマップを作ったのでそちらを参考にしてください。
位置関係については縄張り図を作りましたので、それを参考にしてください。
三の丸にあった櫓
三の丸の周りには堀と土塁が巡らされていて囲まれています。
しかも複雑な形をしています。
しかし、櫓はありませんでした。
おそらく土塁上に立つと見晴らしがよく、外の動きがよく見えたことでしょう。
三の丸にあった門
三の丸には二つの門がありました。
- 大手門(おおてもん)
- 内田門(うちだもん)
です。
大手門は外枡形(そとますがた)となっており、いわゆる“大手枡形”や“枡形門”と呼ばれる構造です。
一の門は西向きの高麗門(こうらいもん)、二の門は 南向きの櫓門(やぐらもん)となっており、城内でもっとも格式の高い門でした。
内田門は東向きの門で櫓門だったと言われますが、瑞泉寺にある移築されたと言われる門は薬医門です。
どちらが実際にあったものかまでは不明ですので、今後の研究などで明らかになることを期待します。
大手門は南の正面に、内田門は城郭の東側中央から北側辺りで、東向きに配置されていました。
移築された内田門について詳しくはコチラ↓↓↓の記事を参考にしてください。
犬山城移築門・内田門(うちだもん)-犬山城すぐ近くの瑞泉寺にあるのだよ!
三の丸にあった二つの御殿
三の丸には二つの御殿がありました。
- 西御殿(にしごてん)
- 三光寺御殿(さんこうじごてん)
です。
西御殿はもともと城主の住居でしたが、次第に政治の場としての役割が多くなってきました。
現在は道になってしまっていますが、丸の内緑地公園の東、犬山城第一駐車場や犬山神社の北の辺りです。
三光寺御殿は西御殿の南側にありました。
享保18年(1733)に建てられ、それ以後は三光寺御殿が城主の住まい、西御殿が政庁としての役割に代わっていきました。
現在の犬山城第一駐車場の辺りです。
三の丸の現況とみどころ
三の丸は範囲が広く、明治の廃城、さらにその後の開発によって改変が著しい場所です。
残念ながらはっきりとした遺構はあまり残っていません。
ではまったく遺構や名残がないかというと、そうではありません。
地形はそこまで大きくは改変できないでしょうから、そういった目で見ていくとわかるところがありますし、江戸時代の絵図を頼りに町歩きをするとよりわかるかと思います。
例えば、犬山北小学校も三の丸内ですが、学校の西側や南側は堀の跡がうかがえます。
現・福祉会館のあたりは大手門があったところです。その南側の道は堀のあったあたりです。
東側にも遺構や名残があります。
新郷瀬川にかかる橋から北に向かう道ですが、すぐ西は急な崖になっています。
この辺りも三の丸の境目にあたります。
こうやって地形を見ていくと町歩きも違った趣が出てきておもしろくなってきますね。
三の丸内には、現在は民家や店舗などが建ち並んでいます。
また、城とまちミュージアム(犬山市文化史料館)があり、犬山城と犬山祭についての展示などがされています。
三の丸のみどころをマップにまとめておきましたので、参考にしてください。
まとめ
犬山城・三の丸には二つの門がありました。
- 大手門(おおてもん)
- 内田門(うちだもん)
また、二つの御殿がありました。
- 西御殿(にしごてん)
- 三光寺御殿(さんこうじごてん)
三の丸の現況はあり遺構が残っていませんが、堀の名残などがありますのでブラブラ歩きながら探してみてください。
ということで、犬山城・三の丸の解説でした。
じゃあね🖐️
2019年11月08日
犬山城マイスター!たかまる。