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犬山城・犬山城下町は変形型の四神相応(しじんそうおう)の地だった。

四神(しじん)とは青龍(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)のことで、平城京や平安京は「四神相応の都」と言われています。

では城郭はどうかと見てみると四神相応の地と言える城郭がいくつかありました。

犬山城は「変形型」四神相応の地に築かれた城だったと言えるようです。

あまり考えたことがないかもという風水と城の関係について、見ていきましょう。

犬山城・犬山城下町は変形型の四神相応(しじんそうおう)の地だった。

犬山城は四神相応の地に築かれた城だった!(写真:たかまる。)

  • 四神とは青龍、白虎、朱雀、玄武のことで、平城京や平安京は「四神相応の都」
  • 四神相応の地の城郭がある
  • 犬山城は「変形型」四神相応の地に築かれた城郭

四神(しじん)とは青龍(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)のことで、平城京や平安京は「四神相応の都」と言われています。

古くは奈良県にあるキトラ古墳の石室内に四神が描かれており、四神のすべてが揃う古墳壁画はキトラ古墳だけです。

では城郭はどうかと見てみると四神相応の地と言える城郭がいくつかありました。

岡山城、姫路城、広島城、福山城です。

その他にも、名古屋城、浜田城、首里城なども挙げられます。

犬山城はどうかと見てみると、「変形型」四神相応の地に築かれた城だったと言えるようです。

あまり考えたことがないかもという風水と城の関係について、見ていきましょう。

四神がいるのにふさわしい土地を四神相応(しじんそうおう)という。

四神相応の考え

青龍、白虎、朱雀、玄武が四神

四神とは古代中国で東西南北を守る空想上の生き物のことです。

青龍(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)です。

大地のエネルギーを守るのが四神の役目で、東西南北に四神がいると考えられるようです。

著者は風水には疎いので、これを機に少しだけ勉強しましたが奥が深いですね。

専門用語など間違っていたらごめんね。

四神の地形

背後に山、前方に海・湖沼・河川の水が配置されていて、左右を丘陵や背後の山よりも低い山で囲んでいるところが理想とされます。

北の玄武:平野部を囲む山の中では最も大きな山がふさわしい

東の青龍:東に位置し、平地を囲む連なった山、小高い丘が良いとされる

西の白虎:平地を囲むように連なった山で、東の山の大きさのバランスが取れているのが理想

南の朱雀:平地を挟んで北の玄武に向かい合う山で、玄武よりも低いのが良い。また、水でも良い。南側に川や池があるのが理想

方位 四神
青龍 緑(青)
西 白虎
朱雀
玄武

理想の地形

理想の地形をまとめると、北を背にして南を向いていて、平地を囲む山があり、流れる水があることと言えます。

・北を背にして南を向いている

・平地を囲む山がある

・流れる水がある

平安京は北の比叡山-蔵馬山-貴船山-高雄山-愛宕山という山々が玄武、東の大文字山などの東山の山地が青龍、西の嵐山-松尾山へとなだらかにつながる山地が白虎、南へと流れる鴨川と桂川、そしてかつてあった巨椋池が朱雀と言われています。

犬山城は四神相応の地に築かれた城

四神相応の地かどうかを考えると、なぜここに築いたのかのヒントになる(写真:たかまる。)

  • 江戸時代の書物に「四神相応の地」と書かれている
  • 立地的にも四神相当の地と言える
  • 軸が南東に傾いた「変形型」

上記のような四神と地形を予備知識として持っておきつつ、犬山城を見てみましょう。

雑話犬山旧事記に「四神相応の地」と書かれている

まず、なんでこんな話をしだしたかと言うと、「雑話犬山旧事記」というのに「犬山城は四神相応の地」と書かれているからです。

雑話犬山旧事記より

犬山御城四神相応の地にして平安城に相同す、(中略)平家物語評判十巻に北に山を受け、南は打ち開き東に樹木あり、西に散水を形取りたる地を聖都の地と言い、犬山は右二カ条能応す、北は岩山有り、南は田畑打ち開き東には樹林瑞泉寺、西は山水木曽の大河廻り伊木山あり、昔より名城と言う、誠に為勝地絶景地

雑話犬山旧事記とは、明和8年(1771)に尾張藩士で250石の同心(どうしん。与力(よりき)配下の下級役人)の横井弥右衛門時成によって書かれた書物です。

「犬山市史 史料編四」近世上に収録されています。

立地を検証したら、四神相応だった

それでは、犬山城の立地が四神相応なのかを検証してみましょう。

北の玄武はあるか?

成田山から犬山城を望む。西を向いて。(写真:たかまる。)

まずは北。木曽川の北には愛宕山(268 m)、八木山(296 m)、 北山(289 m)、  城山(265 m)、 峰山(262 m)などの200 m 以上の山々が連なります。

「平野部を囲む山の中では最も大きな山がふさわしい」というのを満たしていそうです。

玄武はOKでしょう。

東の青龍はあるか?

東はどうでしょうか?

丸山(141 m)、善光寺山(136 m)、継鹿尾山(273 m)から、南東の本宮山(293 m)、尾張富士(275 m) に至るまで100 m から200 m 以上の山々が連なっています。

「東に位置し、平地を囲む連なった山、小高い丘が良いとされる」というのを満たしていそうです。

青龍も良さそうです。

西の白虎は?

西には伊木山があり、木曽川が流れる(写真:たかまる。)

西を見てみます。

西には伊木山(173 m)がありますが他に目立った高い山はなく、東に比べると全体的に低地です。

若干弱そうですが、伊木山があるので〇と言えそうです。

南の朱雀は?

南には濃尾平野が広がる。犬山城の前身・木之下城も南に位置している(写真:たかまる。)

最後に南です。

犬山城の東側には郷瀬川が流れ、東南には入鹿池があります。

一見すると水もよさそうですが、郷瀬川は明治19年(1886)に人工的に作られた川で、入鹿池は寛永10年(1633)にできたため池です。

そのことから犬山城築城時には朱雀と思われる湾や池などはなかったと考えられます。

雑話犬山旧事記にも「南には田圃打ち開き」とあり、朱雀に水のことは記されていません。

このことから、「平安京に相当する四神相応」とは、平安京ができたころの四方を山々に囲まれた地形と似ていることからそのように言ったと考えられそうですね。

ということで、パーフェクトな四神相応の地とは言えませんが、「変形型」とも言える四神相応の地といえるでしょう。

軸を考えてみたら、四神相応だった。新説あり。

青:南北軸(曽我氏説)、赤:南北軸(たかまる。説)、緑:東西軸(作図:たかまる。、地理院地図に作図した)

地図上で犬山城がある軸と考えられるのはどこかを探ってみましょう。

次の文献には以下のように書かれています。

  • 『近世の城郭立地に関する風水思想からの考察』曽我とも子、岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第33号、2012、P83

東西軸は、西は伊木山、東は継鹿尾山を結んだもので、その軸はちょうど本丸を通過する。南北軸は、西北の愛宕山から南西の尾張富士を結んだもので、これらの東西と南北の軸の交点に犬山城が位置している。

これに沿って地理院地図に軸を引いてみました。

それが下の図です。

青:南北軸(曽我氏説)、赤:南北軸(たかまる。説)、緑:東西軸(作図:たかまる。、地理院地図に作図した)

小さいので拡大しましょう。

曽我氏が考察した緑のライン(東西軸)と青のライン(南北軸)の交点は、残念ながら犬山城の本丸から東に外れていた。(作図:たかまる。、地理院地図に作図)

緑色のラインが東西軸、青色のラインが南北軸となります。

東西軸は本丸を通過していますが、南北軸は本丸はおろか、城郭すら外れてしまっています。

その交点は犬山城の東、城郭の外に位置しています。

そこで、著者のたかまる。説を出したいと思います。

東西軸は曽我氏説と同じく、西の伊木山と東の継鹿尾山を結んびました(緑色のライン)。

その軸は驚くほどピタリと本丸を通過しています。

しかも、ほぼ天守を通っています。

南北軸は、南西の愛宕神社と八木山を結びました(赤色のライン)。

そうすると、その軸も驚くほどピタリと本丸を通過しています。

しかも、ほぼ天守を通っています。

そして、その両軸はほぼ垂直に交わり、交点はほぼ天守がある場所に位置しています。

こうなるところを選んだわけではなく、ラインを引いてみたら驚くほどピタリときたため、著者自身も驚いています。

著者:たかまる。の説は、東西軸(緑色のライン)と南北軸(赤色のライン)は本丸で直行しており、さらにその交点はほぼ天守上にあった。こちらが有力ではないか?(作図:たかまる。、地理院地図に作図)

愛宕神社は犬山城の前身の木之下城があったと言われる場所です。

そして、現在もある井戸は金明水と言われ、木之下城の井戸だったと伝わります。

天文6年(1537)に織田信長の叔父・織田信秀が現在の位置に犬山城を築城し、木之下城から移転したと言われています。

八木山は御岳信仰の山であり、移転するにあたって木之下城と八木山を結び、その軸上に犬山城を築城したと考えても面白そうです。

このことから、この南北軸と先の東西軸の交点に犬山城の本丸、そして天守の前身となるものを置いたのだと推測しました。

あらためて、著者たかまる。の説をまとめます。

たかまる。の説

東西軸は、西は伊木山、東は継鹿尾山を結んだもので、その軸はちょうど本丸を通過します。

南北軸は、犬山城の前身の木之下城(現・愛宕神社)と御岳信仰のある八木山を結んだもので、この軸もちょうど本丸と通過します。

これらの東西と南北の軸はほぼ直行しており、この交点に犬山城の本丸を配置し、天守の前身となるものが置かれたのだと考えられます。

軸は若干南東に傾いているものの、東西軸と南北軸の交点が見事に本丸に位置しており、犬山城の立地を考える上で新しい説になると思います。

地理院地図のほかにもGoogle mapにも軸を書いてみましたので、自由に拡大するなどして確認してみてください。

これを見るとなかなか面白いと思いますよ。

私もこの文献で読んだときには「へぇ~」ぐらいでしたが、実際に地図上にラインを引いてみたりするとずれていたので試行錯誤して、この説に行きつきました。

犬山城は四神相応の地に認定

犬山城は平城京と同じように四神相応の地に築かれたと考えられる。(作図:たかまる。)

さらに犬山城は木曽川という天然の要害を巨大な堀として利用しています。

犬山城の場合は立地に際しては、四神相応の山々の地形の流れに沿って、方位が若干東南に傾いていますが、これを基準とした山のラインが交わる位置に城郭を置いたのでしょう。

木曽川の絶壁に面した丘陵での地形は、戦乱の世の中では防御に打ってつけであり、最大限に利用されたのではないでしょうか。

いずれにしても、犬山城は若干変化型ではあるものの「四神相応の地」に築かれた城の一つと考えられます。

全国にある四神相応の城

岡山城は四神相応の地に築かれた城だ。(写真:たかまる。)

  • 四神相応の地に築かれた城がある
  • 岡山城、姫路城、広島城、福山城など
  • 風水と城郭の立地の結びつきはあり得る

全国の城郭の中で、以下のものが四神相応の地に築かれた城と言われています。

  • 岡山城(岡山県岡山市)
  • 姫路城(兵庫県姫路市)
  • 広島城(広島県広島市)
  • 福山城(広島県福山市)

いずれも西日本というのが面白いところですね。

その他に、若干変化した四神相応の地に築かれた城としては次のものが挙げられています。

  • 名古屋城(愛知県名古屋市)
  • 浜田城(島根県浜田市)
  • 首里城(沖縄県那覇市)

です。

こちらも西日本ですね。

西日本特有なものではないと思いますが、風水を城造りによく取り入れているという証でしょう。

これらについては詳しく見ていきませんが、どんな風になっているかを考えながら散策してみるとおもしろいでしょうね。

色々調べてみると、風水と城郭立地について研究された論文がありました。

今回はこちらを参考にさせていただきました。

  • 『近世の城郭立地に関する風水思想からの考察』曽我とも子、岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第33号、2012、P83
  • 『城下町犬山 四神相応の地』犬山北のまちづくり推進協議会、平成10年6月発行

まとめ

面白い説ができました。(作図:たかまる。)

  • 四神とは青龍、白虎、朱雀、玄武のことで、平城京や平安京は「四神相応の都」
  • 四神相応の地の城郭がある
  • 犬山城は「変形型」四神相応の地に築かれた城郭

四神(しじん)とは青龍(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)のことで、平城京や平安京は「四神相応の都」と言われています。

四神相応の地と言える城郭がいくつかありました。

犬山城も「変形型」四神相応の地に築かれた城だったと言えるようです。

こういう観点からも城を見てみるとおもしろ発見がありそうですね。

ということで、犬山城は四神相応の地に築かれたお城というお話でした。

じゃあね🖐️

2020年03月17日
犬山城マイスター!たかまる。

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