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犬山城・西御殿

犬山城の三の丸には西御殿という御殿がありました。

寛文2年(1662)頃に作られたと言われています。

犬山城主の住まいであり、政庁でもあった西御殿について深掘りしていきます。

犬山城・西御殿

西御殿の図(作図:たかまる。)

  • 西御殿は三の丸にあった
  • 寛文2年(1662)頃に松の丸にあった御殿を移して作られた
  • 犬山城主の住まい&政庁として使われた

犬山城の三の丸には西御殿という御殿がありました。

そこは寛文2年(1662)頃に松の丸にあった御殿を移して作られたと言われています。

西御殿は犬山城主の住まいであり家臣と接見したり、公式行事を行う政庁として使われました。

また慶応四年(1868)に犬山藩が誕生すると藩庁となり、さらに明治四年(1871)に廃藩置県によって犬山県ができると犬山県庁となりました。

これらについて以下に深掘りしていきます。

西御殿があった場所

西御殿があったあたり(写真:たかまる。)

  • 西御殿があったところは犬山城の三の丸
  • 以前は犬山市体育館があった
  • 城前広場の西側

西御殿があったところは犬山城の三の丸です。

三の丸から二の丸や本丸へと続く道(通称、大手道)の入り口に中門がありましたが、その南西です。

城前広場の西側です。

現在は市道や犬山城第1駐車場になっている辺りです。

平成29年までは犬山市体育館がありました。

マップを作成してあるのでそちらもあわせてご覧ください。

西御殿跡からは組織や井戸跡が見つかった。

西御殿跡の発掘調査の様子(平成29年)(写真:たかまる。)

  • 平成29年に西御殿跡の発掘調査
  • 井戸や礎石などの遺構がみつかった
  • 瓦や陶磁器なども出土した

平成29年に犬山市が西御殿跡の発掘調査を行いました。

その結果、井戸や礎石などの遺構が見つかりました。

特に御玄関の礎石の根石と思われる石と、お目付部屋の北にある井戸跡と思われる石組みが見つかりました。

西御殿跡から発見された柱の礎石根石。玄関の根石と思われる(写真:たかまる。)


西御殿跡から発見された井戸の石組。北側中央の井戸と思われる。(写真:たかまる。)

また瓦や陶磁器、焼塩壷の蓋なども見つかっています。

焼塩壺は粗塩を蒸し焼きにして上質な塩にするための素焼きの土器です。

その他にも硯(すずり)やすり鉢、青磁器(せいじき)、寛永通寳なども見つかっています。

硯には享保6年と刻まれていて、享保6年(1721)のものであることが分かりました。

西御殿の図

西御殿跡からの犬山城天守の風景(写真:たかまる。)

  • 西御殿の図は犬山城白帝文庫が所蔵
  • 著者がトレースした図を掲載
  • 玄関は檜皮葺き(ひわだぶき)で、表御殿、書院、奥御殿などがあった

西御殿の図は公益財団法人犬山城白帝文庫が所蔵しています。

この図は著作権などがあるためここでお見せすることはできませんが、著者がトレースした図を作成しましたのでそれを載せておきます。

西御殿の図(作図:たかまる。)

玄関は檜皮葺き(ひわだぶき)で、表御殿、書院、奥御殿などがありました。

部屋もいくつもあり、台所もあります。

一般的に言われている御殿と同じような造りになっていると思われます。

西御殿の役割

犬山城天守(写真:たかまる。)

  • 表はお目見えの場など、政庁として
  • 奥は犬山城主の住まいとして
  • 西御殿は特に政庁としての役割

西御殿は犬山城主の住まいとして寛文2年(1662)頃に、松の丸にあった御殿を移して造られたと言われています。

また、表御殿はお目見えの場など、政庁として使用されました。

奥御殿は犬山城主の住まいとして使用されました。

西御殿を守護する者は御殿奉行と呼ばれました。

犬山城には西御殿の他に、松の丸には松の丸御殿、西御殿と同じく三の丸には三光寺御殿がありました。

松の丸御殿は尾張藩主が犬山へ御成になった時に使用するための御殿です。

三光寺御殿は享保18年(1733)に建てられた御殿で、犬山城主の住まいとして使用されました。

このように3つの御殿はそれぞれの役割があり、西御殿は特に政庁としての役割を担っていました。

現況

西御殿跡は市道・遊歩道になっている(写真:たかまる。)

  • 犬山城第1駐車場の北側と市道、歩道になっている
  • 遺構などは地中に埋められている
  • 推定地と写真を載せておきます

現在、西御殿跡は犬山城第1駐車場の北側と市道、歩道になっているところです。

遺構などは地中に埋められており、現在は見ることができません。

残念ながら2020年3月現在で案内板などもないため、現地に行ってもどの辺りが西御殿なのかはよく分からないと思います。

そこで、推定地と写真を載せておきますので、犬山城を訪れた際には西御殿跡にもお立ち寄りください。

西御殿跡推定値(地理院地図に図を追加編集)

と言っても、痕跡は何もありませんが。

まとめ

西御殿の図(作図:たかまる。

  • 西御殿は三の丸にあった
  • 寛文2年(1662)頃に松の丸にあった御殿を移して作られた
  • 犬山城主の住まい&政庁として使われた

犬山城の西御殿をご紹介しました。

寛文2年(1662)頃に作られた御殿で、犬山城主の住まいとして使われただけでなく、政庁としての役割を担っていました。

現在では遺構などを見ることはできませんが、市道や遊歩道になっていたりするので散策することは可能です。

犬山城を訪れた際はぜひ一緒に散策してみてください。

ということで、犬山城の西御殿をご紹介しました。

じゃあね🖐️

2020年03月13日
犬山城マイスター!たかまる。

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