幕末になると日本近海に外国の船が頻繁に現れるようになりました。
そのため海防強化をしなければならず、新しい城を作りました。
松前城と福江城が有名です。
今回はこれらの幕末のお城について学んでいきましょう。
幕末の築城① 海防強化のための城
幕末になるとロシア、イギリス、アメリカなどの船が日本近海に頻繁に姿を現すようになります。
このため幕府は海防強化を進めることになります。
嘉永2年(1849年)に松前藩と福江藩に新しい城を築くことが命じられました。
松前藩は松前城(まつまえじょう)、福江藩は福江城(ふくえじょう)を築城しました。
これら二つの城は海防のために海に向けて砲台が設けられているという特徴があります。
特に松前城は江戸文学の粋を尽くした巧妙な縄張りの城で有名です。
城壁が複雑に曲げられており、城の入り口である虎口(こぐち)は迷路のように重なっています。
理論上はどんな攻撃にも耐えられるというものです。
幕末の築城② 西洋式の城
安政元年(1854年)に日米和親条約が締結されました。
これにより函館を守るため幕府は新しい城を作りました。
安政四年(1857年)に築城を開始した五稜郭(ごりょうかく)です。
この五稜郭は西洋式の城として有名で稜堡式(りょうほしき)と呼ばれる星型の縄張りになっています。
しかし五稜郭は予算の都合上、半月堡という三角の馬出しが一つしか作られなかったため完成形とは言えない形になっています。
五稜郭の他にも稜堡式のお城があります。
長野県佐久市にある龍岡城(たつおかじょう)です。
幕末の築城③ その他の海防
城を作る以外にも海防として砲台(ほうだい)がいくつも作られました。
江戸幕府が作ったのは品川台場(しながわだいば)や和田岬砲台(わだみさきほうだい)です。
それ以外にも海を持つ領地の大名の中には、自ら台場や砲台を築くものもありました。
幕末はまさに欧米列強が迫ってきたことによって海防が一気に進められた時代でした。
まとめ
幕末には欧米の船が日本近海に姿を現すようになり、それに対応する形で砲台や新しい城が作られました。
さらに西洋式の築城も取り入れて五稜郭などの新しい形の城も作られるようになりました。
ということで、幕末の築城についての話でした。
じゃあね🖐️
2019年09月13日
犬山城マイスター!たかまる。