みなさん知っての通り、城郭は防御施設です。
いわゆるバリアです。
そして天守は、最後の最後、徹底抗戦の時に籠城で使われる場所です。
そんな籠城戦に備える天守の姿を見てみましょう。
籠城戦で
戦が城で行われる場合、最終的には籠城戦になります。
その時の最終兵器が天守です。
しかし天守が戦いの場になることはごく稀で、大抵の場合はその前に戦いの決着がついてしまいます。
有名な籠城戦
有名な籠城戦が行われた城をいくつか挙げてみると、
- 備中高松城:織田軍による中国攻めにて
- 伏見城や大津城:関ヶ原の戦いの前哨戦にて
- 豊臣大坂城:大阪冬の陣夏の陣にて
- 会津若松城:戊辰戦争にて
などがあります。
もっと他にもあるかもしれないので、いろいろと探してみてください。
備えあれば
戦国の世ではいつ籠城戦になるかわからないため、城郭全体だけでなく天守にも籠城戦に必要な設備が備えられたところがあります。
※ここでは天守の籠城への備えだけに絞りました。城郭全体での話はまた別に書きたいと思います。
畳敷き
籠城戦において多くの人々が天守に詰めることになれば、そこは一転して生活の場にもなります。
天守の床は現在では板張りになっていますが、創建当時は畳が敷いてあったそうです。
これは結構意外ですね。
しかしその痕跡が残っています。
それは敷居です。
敷居がある所は畳を敷くためなのです。
逆に敷居がないところは畳敷きの必要がない、つまり平和な時代に作られたと考えられます。
井戸
長期にわたって籠城する時に必要なものは水です。
そのため、天守の地下には井戸が作られました。
松江城天守の地下には井戸が残っています。
トイレ
人が生活すると必要になってくるものの一つにトイレがあります。
姫路城には雪隠(せっちん=トイレ)が全部で六つもあります。
しかし、一度も籠城戦が行われていないため『未使用』です。
流しや囲炉裏
食事を作る場所も作られました。
姫路城天守には巨大な流し、備中松山城天守には長囲炉裏が作られました。
これらの備えは、すべての天守で作られたわけではありません。
城郭全体で籠城への備えがなされたため、天守にはない場合があるためです。
ここでは天守の籠城への備えということにフォーカスしてみました。
まとめ
みなさん知っての通り、城郭は防御施設です。
そして天守は、最後の最後、徹底抗戦の時に籠城で使われる場所。
籠城戦ともなると、援軍はいつ来るのか? それまでどう持ちこたえるのか?
天守にもその備えがしてあるというから、そういう視点で見てみるのもおもしろですね。
ということで、籠城のための天守の備えというお話でした。
じゃあね🖐️
2019年07月09日
犬山城マイスター!たかまる。