2018年8月終わりごろ、岐阜県各務原市にある鵜沼城跡を公園として整備するという話がニュースになりました。
犬山城を見下ろすスポットとして期待できますね。
解説します。
鵜沼城跡(うぬまじょうあと)が公園に生まれ変わります。
2018年8月終わりごろ、こんなニュースがありました。
長年、岐阜県各務原市と土地の所有者で協議をしてきたようですが、市が整備する方向で話し合いが決着し、整備への予算や議案も議会に提出とのこと。
各務原市は一般会計補正予算案に買収する土地にある建物の移転補償費を計上。
各務原市は2002年に歴史や風景を生かした公園整備を計画し、市の土地開発公社が1億円で愛知県の紡績会社から城山の土地13,000㎡を購入。
駐車場や広場をつくるため、山の北側の平地3,400㎡の買収を計画したが、土地代や建物移転の補償費を巡って地権者と交渉が難航し、2013年から31回の民事調停を繰り返していたという。(報道記事より)
鵜沼城はどこにあるのか?
犬山城の木曽川対岸、ツインブリジの脇にある岩山。
標高は95メートル。
これが鵜沼城跡です。
その向かいでは木曽川鵜飼の船着き場があります。
鵜匠さんが鵜飼の説明をしてくれるとき、みなさん写真を撮ったりしてますけど、だいたいこの鵜沼城跡の岩山がバックになってます。
鵜沼城を築城したのは?
築城は永享年間(1429 – 1440年)といわれます。
築城者は大沢利治。
大沢氏は土岐氏や斎藤氏に仕えていた豪族ですね。
織田信長が尾張統一、美濃攻めのときに攻め落としたといわれます。
山城に分類されるのかな?
もちろん、天守はありませんでした。
櫓があったぐらいでしょうか。
土塁や堀などあったらしいですが、開発のときに失われたようです。
鵜沼城と犬山城の関係は?
戦国時代中期、永禄7年(1564年)に織田信長によって落城後、家臣の池田恒興が支配したといわれています。
その後、中川定成に与えられ支配していたようです。
この中川定成ってのが、織田信長の次男・信雄の筆頭家老で犬山城城主でもありました。
さて、そんな鵜沼城ですが、小牧・長久手の戦いのときに羽柴方の池田恒興によって犬山城が落とされるとき、足掛かりにたんだとか。
天正12年、1584年のことです。
でも、犬山城を落とすときに使ったのは伊木山城だったんじゃないの?
って、たかまる。は思いますけどねー(^-^)
ということで、犬山とは切っても切れない間柄の鵜沼城でした。
鵜沼城跡はこれからどうなるの?
で、およそ40年放置されていた鵜沼城跡ですが、各務原市議会で関連議案と予算が通れば、公園整備へと動くことになります。
そうするとどうなるか?
犬山城がまる見え~~~😉
まとめ
ということで、新たな犬山城スポットになりうるというわけ。
楽しみ~✨
各務原と犬山でこうやって盛り上がるの、良いよね✨
ということで、鵜沼城跡が公園に整備されるというお話の解説でした。
2018年09月01日
犬山城マイスター!たかまる。