天守の格を高める飾りの一つとして、廻縁と高欄があります。
初期の天守では廻縁が用いられていましたが、次第に廃れてしまいました。
しかし現存天守の中で、廻縁と高欄のある天守やそれに相当する造りのあるものもあります。
今回はそんな廻縁と高欄について見ていきましょう。
廻縁(まわりえん)
天守をぐるっと一周できる縁側のことを廻縁(まわりえん)と言います。
今で言うところのベランダのようなものです。
初期の天守ではこの廻縁がよくつけられたそうです。
しかし雨風にさらされて耐久性が悪いため、関ヶ原の戦い(1600年)以降は急速に廃れてしまいました。
高欄(こうらん)
高欄(こうらん)は廻縁に付けられる手すりのことで、転落防止するとともに飾りとしても付けられました。
高欄は、天守の品格を高めるためによく用いられましたが、こちらも関ヶ原の戦い(1600年)以降になるとだんだんと付けられなくなってきました。
現存する例
廻縁と高欄はセットです。
廻縁だけでつけることはできません。
なぜなら高欄がないと落ちてしまうからです。
現存する例としては、犬山城天守と高知城天守があります。
この二つの天守は廻縁に出ることができ、一周ぐるりと回ることができます。
高知城の高欄は、社寺建築に使われる高級擬宝珠(ぎぼし)という飾りが付いています。
現存天守では擬宝珠がついているのは高知城のみです。
外に出られない廻縁の現存例としては、丸岡城天守や松山城天守があります。
彦根城天守も廻縁は見せかけだけで外に出られません。
廻縁と高欄の変化
廻縁と高欄は外に付けられて雨風にさらされるために耐久性が悪く、次第に少なくなっていきましたが、廻縁を作ろうとした痕跡が残っている天守があります。
それは姫路城天守や松本城天守です。
これらの天守の最上階には、廻縁に相当する廊下が室内にできています。
廻縁が雨に濡れないように壁を設けたためと考えられます。
さらに、廻縁が雨に濡れないように縁先に壁や戸を設けて、すぐ下の重の屋根を省略すると唐造(からづくり)・南蛮造(なんばんづくり)の天守になります。
小倉城天守は外観四重、内部五重の層塔型天守ですが、最上階の5階が4階よりも大きく張り出した形をしています。
これが唐造(南蛮造)です。
廻縁を室内に設けることで唐造が出来上がったのかもしれませんね。
まとめ
天守の格を高めるために廻縁と高欄が設けられましたが、耐久性の点で難があり次第にすたれてしまいました。
しかし廻縁へのあこがれなのか、室内に廻縁に相当する廊下を設けたり、唐造(南蛮造)の天守が現れるなど多彩な形状が開発されました。
現存する例として、高知城天守と犬山城天守で体感することができます。
ということで、廻縁と高欄というお話でした。
じゃあね🖐️
2019年07月06日
犬山城マイスター!たかまる。